南野陽子 10年の介護生活振り返る「1時間半の距離と月に3、4日って私にはちょうどよかった」
2023年08月28日 21:45
芸能
転機は11年に母の久美子さんの死去。兵庫県で一人暮らしとなった父の精神面、体調面を心配し、南野の東京の自宅に呼び寄せ一緒に暮らすことになった。だが、その時期は南野の多忙に加えて更年期の症状で心身ともに不安定となり、ぶつかることも多くなったという。
「このままでは父も私も共倒れしてしまう」と思った南野は、病気で入院していた父が退院した時に一緒に行こうと温泉を探していた時に偶然、箱根の高齢者施設を見つけ、見学を経て英夫さんも気に入ったため、入所を決めたという。
それから10年。「片道1時間半の距離で、月に3、4日、東京の自宅で一緒に過ごす生活」に。南野は「1時間半の距離って絶妙で。この距離感が私に穏やかな時間をくれた。1時間半の距離と月に3、4日って私にはちょうどよかった」と振り返った。
南野は「母を亡くした時に、母と一緒にいろんな時間を過ごしたかったな、いろんなところに連れ出したかったな」という後悔があったため、おいしいものを食べた時に笑顔を見せる父のため、可能な限り外食に連れ出したという。
「更年期もそうだし、介護も本当に抱え込まないのが一番だな」としみじみ。「ずっと続けていたら、数カ月で爆発して病んでいたと思いますし、父にも嫌な思いをさせたと思う。施設の方にはいろいろ迷惑もかけたと思うんですけど、そこは役割は役割でお願いして。私は話を聞く役割ができる。謝る役割はできる、と思えば楽になった部分がある」と語った。
最後に南野は「一人の人の人生に悔いなく寄り添ってあげると思うことが介護なのだとしたら、ほとんどの人がきっと日々介護だと思うし、一人では生きられないので」とし、信頼できる人に「もう、悪口って言っちゃいけないっていうけど、いいんです。吐き出すところがないとつらくなることが多いので」と経験からの思いを語った。また、そういう人がいない場合には「おいしいもの食べちゃえとか、おしゃれしちゃえ、遊んじゃえ、とか自分を解放するところを見つけるのが大事かな」とうなずいていた。