“バラードの女王JUJU”誕生秘話 プロデューサー明かすカラオケでの一場面「歌だけで涙させることが」
2023年12月03日 13:29
芸能
2004年に「光の中へ」でCDデビュー。連続で2枚のシングルを発売したが「誰にも届かなくて」。そこから2年間、曲を作り続け、「最後の1枚を出しましょう」となってリリースされたのが「奇跡を望むなら...」。2007年のUSEN年間総合チャートで1位を獲得するなど大ヒットした。
当時、JUJU自身は「JUJUはバラードじゃない!」と思っていたという中で、リリースされた1曲。プロデューサーである木村武士氏が番組にコメントを寄せ、この曲をリリースした理由を明かした。
木村氏は「デビュー当時は2人でよくお酒を飲みに行くことがありました。その時にはまだJUJUだと知られていない状態でしたので、ある時、女の子ばかりがいたカラオケでJUJUが歌った曲で、そこにいる女の子が全員おいおいと涙したことがありました。初対面の人たちなのに、歌だけでこんなに涙させることができるのだったら、日本中をJUJUの歌声で涙させることもできるのではないか、そう思ったのがバラードへのトライの根底に思っていたことでした」と“バラードの女王”のきっかけを説明。「また次にリリースする楽曲がラストチャンスといった覚悟もありました。ラストチャンスと覚悟した時にこの『奇跡を望むなら...』という言葉にアーティストの説得力が重なることができたと思います」とした。
JUJUも「本当に確かに『奇跡を望むなら...』を聞いた方からお便りをいただいたりして。それまでJUJUを聞いてくださる方がいらっしゃるなんて、全然わからなかったし、お便りとかに“癒やされました”とか書いてあって、どう見ても癒やし系がじゃない人生なので、“癒やされました”って言われたのがあまりうれしかった」と回想。「私が“JUJUはこうだ!”って決めつけていたことって、本当に愚かなことだなと。私が思っていることをやるんじゃなくて、聞いてくださる方がいて、歌えることってこんなにうれしいんだなって。だったら、私は、これから先、聞く人が聞きたいと思うものを歌う人でありたい、と考え方がガラッと変わった。それを続けていたら、ファーストアルバムにつながった」と懐かしんだ。