勇退後もトレセンで見守っていた“剛腕”郷原氏…安らかに
2020年02月14日 05:30
競馬
1944年、鹿児島の生まれで61年に騎手デビュー。当時の環境は現在と全く違ったという。「高級車といえば木炭車の時代。普通は馬車で、私も幼い頃から馬とは慣れ親しんでいました。鹿児島から汽車で28時間かけて上京し騎手になりました。騎乗時は手袋もなければ雨がっぱすらない時代でした」
のちにオペックホースやウィナーズサークルで日本ダービー2勝。通算1000勝を達成する騎手すらひと握りの時代に1515勝を挙げ、93年にムチを置いた。そんな彼の初めてのG1級勝利は67年の皐月賞。リユウズキによる優勝劇だったが、この際、1つのエピソードがあった。「リユウズキは直前に走ったスプリングSで左後肢に外傷を負いました。これで皐月賞の出走も回避せざるを得ない状況になったんです」
しかし、時を同じくして厩務員ストが実施され、皐月賞は本来の予定より3週間も延期。おかげでケガは完治し、出走に至ると優勝できた。そして、初めてビッグタイトルを手に入れた郷原氏はこの年、自身初の関東リーディングも獲得。その後、トップジョッキーの名をほしいままにすることとなった。
調教師を勇退された後も週1回は美浦トレセンに顔を出していた郷原氏。「年寄りがしゃしゃり出たら若い子たちがやりづらいだろう」と言い、ひっそりとスタンドの隅の一室で調教を見ていた。最近は入退院を繰り返していたこともご本人からうかがっていたが、こんなに早く逝ってしまうとは残念でならない。昨年、亡くなられた奥様と共に、雲の上から競馬を見守っておられると信じたい。(フリーライター)