湯窪師 競馬一筋50年「あっという間だった」、父の応募から騎手の道へ 調教師試験には18回挑戦

2021年02月12日 05:30

競馬

湯窪師 競馬一筋50年「あっという間だった」、父の応募から騎手の道へ 調教師試験には18回挑戦
2月末に定年を迎える湯窪師(撮影・亀井 直樹) Photo By スポニチ
 【名伯楽 最後の勝負 】 引退を控えた調教師が自身の足跡をたどり、競馬への熱い思いを語る「最後の勝負」。今回は約50年の競馬人生を湯窪幸雄師(70)が振り返る。競馬の世界へと導いた父への思い、「2着では駄目」という勝負へのこだわり、人生を支えた馬への感謝をたっぷりと語った。
 鹿児島県で生まれ、生家は牧場を経営。幼い頃から馬とともに生活を送ってきた。「父が繁殖や育成をしていた。受胎していない繁殖牝馬をよく乗り回していたよ」。湯窪師は幼少期の思い出を語った。

 その父が息子の知らぬ間に試験に応募して人生が決まった。「馬術の試験に応募していたんだ。受けたら合格。そこで騎手を目指した」。70年、栗東・柏谷富衛厩舎からデビューする。71年の「ばんだい号墜落(※注)」で師匠を失うなど、つらい時もあったが、思い出に残る馬との出合いもあった。

 86年、当時所属していた栗東・湯浅三郎厩舎からデビューしたラッキーオーシャン。初戦から手綱を取り4戦目で初勝利。続くシクラメン賞(オープン)を連勝。シンザン記念で後方から2着(1着ヤマニンアーデン)へと脚を伸ばした。「勝てなくて悔しかったけど、いい脚だった。残念ながら重賞を獲らせてあげられなかったが能力が高くていい馬だった」

 90年、騎手引退。「自分には競馬しかない」。そのまま湯浅厩舎で調教助手に。日々、馬づくりに励みながら調教師試験を受け続けること18回目。ついに00年、調教師免許を取得。翌01年3月に厩舎を開業した。

 初勝利は3月31日、阪神の障害未勝利戦(リンクゴールド)。出走延べ15頭目だった。「まず一つ勝ててホッとしたことを覚えている。本当に気持ちが良かった。この世界は勝ってナンボ。2着では駄目だから」

 騎手では141勝だったが、調教師として通算269勝を積み重ねた。重賞は5勝。シンコールビー(03年フローラS)、カフジテイク(17年根岸S)など東京で輝いたイメージがある。「東京、中山にはあまり管理馬を出走させていないけど、その中で重賞を勝ってくれたのはうれしいね」

 強く印象に残るのは15年から18年にかけてダートで活躍したカフジテイク。4角ほぼ最後方から上がり3F34秒台という芝並みの切れ味を使い、豪快に伸びた。「(17年根岸Sは)ゴールに入った時、よく届いたなと思ったよ」

 競馬人生約50年。「あっという間だった。馬の世界に携われて本当に良かった。まずは父親に感謝。厩舎スタッフもみんなばらばらになるけど、次の厩舎でも頑張ってほしいですね」。トレードマークの柔和な笑みを浮かべ、優しいエールを送った。

 ※注 71年7月3日、東亜国内航空(当時)のばんだい号(札幌・丘珠│函館)が函館空港目前、横津岳に墜落。乗客乗員68人全員が死亡した。柏谷師と一緒に搭乗予定だった西塚十勝師は丘珠空港到着が遅れ、難を逃れた。

 ◆湯窪 幸雄(ゆくぼ・さちお)1950年(昭25)11月9日生まれ、鹿児島県出身の70歳。70年騎手デビュー。JRA通算1867戦141勝。90年に調教助手に転身。18回の調教師試験受験を経て、00年に調教師免許取得。翌年に厩舎開業。初重賞制覇は03年フローラSのシンコールビー。JRA通算4543戦269勝、うち重賞5勝。

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