平山、引退発表…かつての“怪物”J開幕1カ月前に異例の決断
2018年01月27日 05:30
サッカー
故障には勝てなかった。FC東京から移籍した昨季。昨年2月25日のリーグ開幕戦はベンチ入りしたが出番はなく、その後はメンバー外。練習試合で左くるぶし付近の腱を脱臼し、同3月11日に手術を受けた。全治3カ月と診断されたが、全体練習に合流できずに公式戦出場はなし。今季も状態は思わしくなく、チームの沖縄合宿に同行せずにリハビリを続けていた。
福岡県出身の平山は国見高時代に高校選手権で史上初の2年連続得点王に輝き、歴代最多17ゴールを記録。筑波大を経て、05年にヘラクレスに加入した。05〜06年に31試合8得点と活躍したが、オランダの生活になじめずに帰国。06年9月からFC東京に11年在籍し、昨季から仙台に移籍していた。
04年アテネ五輪代表には飛び級で選出されたが、08年北京五輪ではメンバーから落選した。国際Aマッチデビューとなった10年1月6日のイエメン戦でハットトリックを達成するなど、記録にも記憶にも残る選手だった。将来的には指導者になる希望を持っているが、現時点で今後の去就は未定。突然の引退劇だっただけに、クラブ側は本人と相談した上で、引退会見を開くかどうかなどの調整を進める方針だ。
【平山相太の軌跡】
アマチュア時代 国見高で高校選手権歴代最多となる通算17得点を記録。史上初の2年連続得点王も獲得した。高校生として唯一、アテネ五輪代表に選出。筑波大では1年時に関東大学1部リーグ制覇に貢献した。
Jリーグ時代 10以上のJクラブからオファーを受けた中でFC東京に加入。11シーズンでJ1通算168試合33点、J2通算1試合0点を記録した。17年に移籍した仙台ではケガに苦しみ公式戦出場はなし。
オランダ時代 ヘラクレスでのデビュー戦となった05年8月20日のデンハーグ戦でプロ初得点を含む2ゴールの活躍。05〜06年シーズンはチーム最多8得点を記録したが、生活になじめずに1年で退団した。
◆平山 相太(ひらやま・そうた)1985年(昭60)6月6日、福岡県北九州市生まれの32歳。田原小―田原中―国見高―筑波大―ヘラクレス―FC東京―仙台。J1通算168試合33点、J2通算1試合0点、天皇杯通算26試合15点、オランダリーグ通算32試合8点、ACL通算3試合0点、国際Aマッチ通算4試合3点。03、05年世界ユース(現U―20W杯)出場。04年アテネ五輪出場。座右の銘は「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」。1メートル90、85キロ。既婚。血液型B。