北山さんは日本のサッカーを強くした恩人
2019年06月20日 13:43
サッカー
Jリーグ開幕時に世界中から一流選手が来てレベルアップに貢献したが、北山さんはアルゼンチンのラモン・ディアス、メディナ・ベージョ(ともに横浜M)ら多くの選手を日本に紹介した。
日本代表の強化については、日本サッカー協会が監督のプロ化に踏み切りハンス・オフト氏が就任したが、同時に強化試合のあり方も変えた。それまでキリンカップなどはヨーロッパや南米のクラブチームを招き、日本代表と対戦していたが、対戦相手を代表チームにした。強豪チームと国際Aマッチで対戦することで、レベルアップを図った。その第1号が92年のキリンカップで、アルゼンチンとウエールズが来日した。日本は初戦のアルゼンチン戦で0-1で負けたものの、いい内容だったことで自信を付けた。世界トップクラスの国を呼んで日本代表と真剣勝負――当時の日本の実力や状況を考えればハードルは高かったが、アルゼンチンにルートがある北山さんがいたことで実現、これを契機に世界が日本を見る目も変わった。
2002年W杯招致も、日本は厳しい状況だった。ライバル韓国は鄭夢準(チョン・モンジュン)会長がFIFA理事となり、FIFAの動きを把握していた。日本はFIFA理事選挙で敗れてFIFAとのパイプがあまりなく、苦しい状況だった。北山さんが築いたアルゼンチン協会や南米連盟とのパイプでFIFAの動きや考え方を知ったことも大きかったが、FIFA理事たちとの付き合い方を知ったことが何よりも大きかった。
アルゼンチンサッカー協会のデルーカ専務理事(当時)と北山さんは大親友で、毎日のように話をしていた。デルーカ氏の盟友、アルゼンチン協会のグロンドーナ会長とも懇意だったからできたことだった。
北山さんは「FIFAの理事と互角に付き合うには、プールサイドで一緒に寝そべって世間話ができるか」と言っていた。「ホテルでカップラーメンを食べていては駄目だ。相手のところに行かなきゃ」と、交渉術の一端を示してくれた。日本がFIFAから認知されたのは北山さんのアドバイスだった。
自身はサッカーの経験がなかったが、アルゼンチンに渡った直後の1978年W杯アルゼンチン大会で日本のサッカー関係者と知り合い、サッカーと関わった。長沼健さん、川淵三郎さん、小倉純二さん、田嶋幸三さんら歴代会長も北山さんを頼りにしていたし、北山さんもズバズバと意見を言った。
「アルゼンチンは戦後すぐは国力があったんだ。ただ、そこからずっと変わっていないだけなんだ」とアルゼンチン式ジョークで笑わせた。いつも派手な柄のシャツを着ていたが、「エルザ(夫人)がこれが似合うと言うんじゃ」と、広島弁で譲らなかった。2014年、来日中にエルザ夫人が急死してから少し元気がなくなったが、まだまだ世界のサッカー界に必要な人だった。
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