永井秀樹氏 国見高恩師・小嶺さん悼む 1年間で364日練習したが先生はいつも一緒にいた

2022年01月07日 14:15

サッカー

永井秀樹氏 国見高恩師・小嶺さん悼む 1年間で364日練習したが先生はいつも一緒にいた
<永井秀樹引退試合>17年。試合後胴上げを受ける国見OBを率いた小嶺忠敏監督(右は永井秀樹氏) Photo By スポニチ
 国見高(長崎)を率いて1987年度の初制覇を含め、全国高校サッカー選手権を6度制した小嶺忠敏さんが7日、死去した。76歳。国見高校時代の教え子で、国見時代の教え子でJ2東京V元監督の永井秀樹氏(50)は小嶺さんの人柄をよく知る1人。恩師の死を残念がった。
 小嶺先生なしにいまの自分はない。先生から教わったことはたくさんあるが、選手のときも指導者のときもずっとそれは心にあった。先生は情熱があり、いいチームを作りたい、目の前の選手を伸ばしたいと考えていた。1年間で364日練習したが、朝6時から、夜は8、9時まで。週末も練習試合だったが、先生はいつも一緒にいた。選手と生活を共にし、普通の人ではできないことだった。2年生のときに日本一になったが、国立のピッチに立ったときは「自分のためではなく、先生を胴上げしたい」と思った。

 指導は厳しかった。長崎から新潟まで先生が運転してマイクロバスで移動したが、ランニング一丁で運転している後ろ姿を見たら「絶対に日本一に」と思った。

 先生の教えで「正直に生きろ、いい選手になる前にいい人間になれ」「自信と過信は紙一重」と言われたことは印象に残っている。指導者になってからも使わせていただいた。

 最後に話したのは2年前で東京Vが大久保(嘉人)を獲得するときに「ヨシトと一緒にやることになりました」と報告したら喜んでくれた。

 5年ぐらい前、私が東京Vユース監督のときに前橋のフェスティバルで長崎総科大付と対戦したことも個人的には感慨深いものだった。根性重視に見えるが、国見の頃、急に2週間ぐらいブラジルへ行って勉強してきたり、貪欲だった。

 これまで教わったことを胸に、今後も「小嶺魂」で頑張ることが恩返しだと思う。

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