中村俊輔氏 日本代表時代「一番きつかったのは10年W杯」 引退セレモニーで告白「妻に感謝します」

2023年12月17日 17:40

サッカー

中村俊輔氏 日本代表時代「一番きつかったのは10年W杯」 引退セレモニーで告白「妻に感謝します」
<中村俊輔引退試合>胴上げを受ける中村俊輔(撮影・西尾 大助)  Photo By スポニチ
 【中村俊輔氏引退試合「SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH」 ( 2023年12月17日    ニッパツ三ツ沢球技場 )】 昨季限りで現役を引退し、今季から横浜FCコーチを務める元日本代表MFの中村俊輔氏(45)が17日、ニッパツ三ツ沢球技場で開催された自身の引退試合「SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH」に出場。自身の代名詞である「フリーキック」だけで“ハットトリック”を達成するなど両チームで6点を挙げる大活躍。精度の高いキックで観衆を沸かせた。
 中村俊氏は試合後の引退試合セレモニーで「思えば最初にサッカー観戦をしたのがここ三ツ沢。小学校低学年の時に父親に連れられて最初に見た試合が、日産自動車VS読売クラブでした。両チームの10番、ラモス瑠偉さん(読売クラブ)と木村和司さん(日産自動車)に魅了されて自分もああなりないと思ったのが全ての始まりだったんじゃないかと思います」と感慨深げ。「プロ初出場、初ゴールもここ三ツ沢で出来ました。私にとっては切っても切れないとても大切な場所で最後にプレーが出来てとてもうれしく思います」と話した。

 続けて「プロになり横浜マリノスに入団し、井原さんや川口さん、松田直樹さんといった偉大な先輩たちの背中を見て自分のレベルを上げる事ができ…」と話すと、11年に急逝した松田直樹さんや14年に亡くなった奥大介さんへの想いを募らせたのか言葉に詰まる場面も。それでも「(先輩方のおかげで)プロという厳しい中で生き抜くすべを身につけることが出来ました。海外にも挑戦しイタリア、スコットランド、スペインと渡りチャンピオンズリーグでもプレーしました。日本代表では国と10番を背負い、誇りを感じながらプレーも出来ました」と言葉を絞り出した。

 さらに自身が書いていたというサッカーノートの存在も明かし「ノートに書いていた事をクリアしていく実感を自分自身で感じられたのが良かったと思います。そんな中でも良い事ばかりではありませんでした。自分の中で一番きつかったのは…やっぱり2010年のW杯ですね。積み上げてきたものをW杯で出したかったんですけど、なかなか上手くいかず。メンタルの状態もあまり良くないなか、いつも励ましたり応援してくれた家族の存在はとても大きかったです。いつもサポートだけでなく一緒に戦ってくれた妻にも感謝します。ありがとうございます」と感謝の言葉。大会直前で先発メンバーから外れることになった2010年W杯南アフリカ大会での苦い経験を振り返った。

 最後には「自分が所属した全てのクラブ、一緒に戦ったコーチやスタッフや選手たち。サポーターの方々も自分にとってはかけがえのない大切な存在でした。本当にありがとうございました。もう第2の人生は始まってますが指導者として少しでも日本サッカーに貢献できるようしたいです。まだまだ未熟ですのでご指導のほどよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございました」と締めた。

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