「日の丸飛行隊」コーチの笠谷昌生氏死去

2009年02月18日 19:08

ジャンプ

 元全日本スキー連盟ジャンプ部長の笠谷昌生氏(かさや・あきお)が18日午前5時51分、肺炎のため札幌市手稲区の病院で死去、74歳。北海道岩内町出身。葬儀・告別式は22日午前10時から手稲区富丘2条5の1の30、ていね北海斎場で。喪主は妻裕子(ゆうこ)さん。72年札幌冬季五輪のジャンプ・コーチとして実弟の笠谷幸生氏ら「日の丸飛行隊」を70メートル級で表彰台独占に導いた。98年長野冬季五輪もジャンプ部長として個性あふれるチームのまとめ役となり、金2、銀1、銅1の計4個のメダル獲得に貢献した。
 スキー・ジャンプで日本選手の活躍を支えた笠谷昌生さんが18日、肺炎のため亡くなった。74歳。1998年長野五輪後に「昌生さんがいなかったら、あの大成功はなかった」という関係者は多かった。選手としては明大時代の54年に全日本選手権を制したが、引退後の裏方としての貢献が大きかった。
 日本が飛躍的に伸びた92―98年に全日本スキー連盟ジャンプ部長を務めた。個性的な選手とコーチ陣が多く、代表編成などのコーチ会議でさまざまな意見が出ても笠谷さんの最終決断で一つにまとまった。
 長野五輪に向けたヘッドコーチを長野出身の小野学氏にした。ジャンプは北海道、という概念に縛られなかった。小野さんは「リーダーシップがあって決断力があった」と評した。実弟は札幌五輪金メダリストの笠谷幸生氏。小野氏は「幸生さんが職人なら、昌生さんはそれをとりまとめる管理職」と表現した。
 37歳のコーチとして幸生氏らを率いて札幌五輪の表彰台独占を果たし、63歳で迎えた長野でメダルラッシュをもたらした。肺に病気を抱えながら、2007年世界選手権札幌大会誘致に尽力した姿も忘れられない。

おすすめテーマ

2009年02月18日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム