「土俵の鬼」安らかに…花田勝治さん逝く

2010年09月02日 06:00

相撲

「土俵の鬼」安らかに…花田勝治さん逝く
1992年1月場所、初優勝した甥の貴花田(当時)に賜杯を手渡す二子山理事長(当時)
 元横綱・初代若乃花で、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都内の病院で死去した。82歳だった。現役時代は栃錦と「栃若時代」を築き戦後の相撲人気の火付け役となった。引退後も二子山親方として2横綱2大関ら多くの関取を育てた。最近は体調を崩し入退院を繰り返していた。歴代横綱では第15代の初代・梅ケ谷の83歳に次ぐ長寿だった。
 土俵の鬼が静かに旅立った。関係者によると、花田さんは昨年5月に体調を崩して入院。「若い頃に飲み過ぎたので肝臓をやってしまった」と周囲に漏らしていたという。今年2月には症状を悪化させて再入院。8月15日に見舞いに訪れた、同じ花籠部屋出身の放駒新理事長(元大関・魁傑)に対しては「今本当に大変だな。しっかり立て直していけ」と激励していたが、4日前に危篤状態に陥りこの日午後5時25分、帰らぬ人となった。
 遺体は午後8時12分、知らせを受けて駆け付けた弟子の間垣親方(元横綱・二代目若乃花)や鳴戸親方(元横綱・隆の里)、松ケ根親方(元大関・若嶋津)らに見守られながら東京都内の自宅に戻った。
 花田さんは10人兄弟の長男として青森県の裕福なリンゴ農家に生まれた。しかし、リンゴ園が台風の被害で大打撃を受け、北海道に出て日雇いの仕事をしながら家族を支え、18歳で花籠部屋に入門。1946年秋場所で「若ノ花」のしこ名で初土俵を踏んだ。「わしの両肩には家族の生活がかかっている」を口癖に105キロの軽量の体を猛稽古で鍛え上げた。横綱昇進が目前だった56年9月、秋場所前に4歳の長男がチャンコ鍋を全身に浴びてやけどで夭逝(ようせつ)。数珠を首にかけて場所入りする悲壮な覚悟で綱取り場所に臨んだが、12連勝後にへんとう腺を休場。綱獲りは果たせなかった。しかし、その事が映画化され人気となった。58年初場所後に横綱に昇進しライバルの横綱・栃錦とともに「栃若時代」を築き、戦後の復興を目指す日本国民に勇気と希望を与えた。
 引退後は二代目・若乃花、隆の里の2横綱や実弟の貴ノ花(元二子山親方、05年死去)、若嶋津の2大関ら19人の関取を育てた。88年2月に相撲協会の理事長に就任。土俵の充実を提唱し、立ち合いの正常化を訴えた。
 定年退職後は相撲博物館館長を務めていたが、「二子山」の名跡売買問題に絡んで辞任。その後は公の場に姿を見せることが少なくなっていた。

 ◆花田 勝治(はなだ・かつじ)初代・若乃花幹士。1928年(昭3)3月16日生まれ、青森県弘前市出身。46年秋場所で初土俵。50年春場所で新入幕を果たし、58年初場所優勝後、昭和生まれとして初めて横綱に推挙され第45代横綱に昇進。栃錦と「栃若時代」をつくる。猛稽古で知られ「土俵の鬼」と呼ばれた。62年春場所後に引退。横綱在位26場所、幕内優勝10回。引退後は年寄・二子山を襲名し、独立。88年から92年まで日本相撲協会の第6代理事長を務めた。現役時代のサイズは1メートル79、107キロ。

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