元横綱・輪島さん死去「黄金の左」で活躍 北の湖と「輪湖時代」
2018年10月10日 05:30
相撲
石川・金沢高から日大に進んだ輪島さんは、1968、69年に2度の学生横綱となり、花籠部屋に入門して70年初場所に幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏んだ。「黄金の左」と呼ばれた左差しからの取り口は天才的で、下手投げは代名詞でもあった。私生活でも仲の良かった貴ノ花とは72年秋場所後に大関に同時昇進。73年夏場所後には初土俵から所要21場所で横綱に昇進した。学生相撲出身で初の横綱であるとともに、長い歴史の中で本名のままの横綱も初めてだった。
横綱昇進後は、74年名古屋場所後に第55代横綱となった北の湖とともに大相撲を支えた。「(北の湖は)初対戦の時から強くなると思っていた。本当に嫌なヤツが上がってきたなという印象」。北の湖の優勝24回には及ばない14回だが、対戦成績では23勝21敗と上回った。15年11月に当時の北の湖理事長が急死した際には、咽頭がんの手術を受け発声が困難な状況だったため、文書で「先に逝かれて寂しい。オレはもう少し頑張る」とコメントを寄せた。
日大時代から酒席が好きで、連日のように飲み歩いた。著名人との交遊も多かった。派手な私生活だけでなく、土俵では当時は斬新だった金色の締め込みをつけた。派手さが世の中の関心を集め、それまでの力士のイメージを大きく変えた。
希代の大スターと言える存在。だが、81年春場所の引退後は波瀾(はらん)万丈だった。すぐに花籠親方となって、義父で師匠だった元幕内・大ノ海から部屋を継承した。だが、年寄名跡を実妹の経営する料理店の借金の担保に入れたことが発覚し、引退から5年足らずの85年12月に廃業に追い込まれた。全日本プロレスに入門して86年8月にデビューを果たしたものの、2年余りで引退。その後はタレント活動、アメリカンフットボールで社会人チームの監督を務めた。晩年は遠縁にあたる幕内・輝のいる高田川部屋を場所ごとに訪れ、アドバイスを送っていた。自らの失態で角界を去ることにはなったが、最後まで相撲を愛してやまない人生だった。
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