村岡桃佳が「全身全霊注ぐ」東京&北京パラ出場 いばらの道も「諦め」の文字なし

2020年06月16日 09:00

五輪

村岡桃佳が「全身全霊注ぐ」東京&北京パラ出場 いばらの道も「諦め」の文字なし
室内トレーニング中の村岡(2020年6月11日撮影、株式会社スポーツビズ提供) Photo By 提供写真
 かのナポレオンはこう言ったとされている。「わが辞書に不可能の文字はない」。18年平昌冬季パラリンピックの女子アルペンスキー大回転(座位)金を含む5個のメダルを獲得した村岡桃佳(23=トヨタ自動車)の辞書には「諦める」という文字がないのかもしれない。
 昨年5月から陸上100メートル(車いすT54)に挑戦している。20年東京パラリンピック終了までは陸上に専念し、その後スキーに復帰して22年北京パラリンピックを目指す予定だったが、東京大会が来夏に延期。どちらか一方を選ぶ可能性もあったというが、村岡は“二刀流”を選択した。

 「今の段階で北京を諦める、という選択肢は私の中になかった。欲張りなので、両方諦めたくなかったです。私自身の決意と覚悟として、両競技でパラリンピック出場に向けて全身全霊を注ぎたい」。言葉に迷いながらも、確かな口調で決意を示した。

 私は大学時代、新聞学を専攻していた。卒業論文のテーマは「平昌2018パラリンピック冬季競技大会における新聞報道の分析と考察」。大会開催4日前から終了3日後まで、16日間の新聞記事を調査したが、ダントツで多かったのは村岡の記事や写真だった。これからも冬季競技のエースとして君臨するのだろう。そう思っていた矢先、陸上に専念すると聞いた時は度肝を抜かれた。

 初めて村岡のレースを見たのは、7月のジャパンパラだった。直前の関東選手権で17秒38の日本記録を樹立したが、この大会では17秒78。優勝こそしたが、当時争われていた19年世界選手権の派遣標準記録である16秒75には全く届いていない。東京大会出場は厳しいのではないか、とひそかに思った記憶がある。

 ところが今年1月、オーストラリアの国際大会で、自らが持つ日本記録を1秒以上更新する16秒34をマーク。この記録は16年リオデジャネイロ大会の4位相当であり、東京大会出場圏内の世界ランキング6位まで浮上した。一気に夏季大会出場が現実味を帯びてきた段階で、予選期間は来春まで延期された。今後は両パラリンピックの出場資格を獲得するため、2競技を同時にこなしていくことになる。

 早大入学時には、パラアスリートとして初めて「トップアスリート入試」に合格した。平昌では日本選手団の旗手を務め、日本勢第1号となる金メダルを獲得。常に先頭を突き進んできた。21年東京大会と22年北京大会の間は、わずか半年。「そんな短いスパンでパラリンピックを渡り歩いた選手は、きっといない。私が第1号になりたい」。新たな目標を胸に、村岡がいばらの道を切り開くことに期待したい。(記者コラム・小田切 葉月)

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