柔道・原沢 平坦ではなかった五輪までの道のり オーバートレーニング症候群、不振、柔の道から離れた時も

2021年07月30日 19:30

柔道

柔道・原沢 平坦ではなかった五輪までの道のり オーバートレーニング症候群、不振、柔の道から離れた時も
男子100キロ超級3位決定戦 原沢久喜(右)は前回2016年リオ五輪同級決勝で敗れたテディ・リネールと組み合う(AP) Photo By AP
 柔道男子100キロ超級の3位決定戦で敗れ、メダルを逃した原沢久喜(29=百五銀行)。ただ、五輪に向かって積み重ねてきた道のりは平たんなものではなかった。
 17年はオーバートレーニング症候群を発症。不振に陥り、柔道を離れた時期もあった。ケガにも悩まされた。「いろんなことがあったけど、東京で金メダルという目標が最後までブレなかったからこそ、ここまで来ることができた」。苦難を乗り越え、全てを力に変えてきた。

 ただ、その課程で、多くの人に支えてもらったことに報いたかったのだろう。戦い終えた後の「本当にここまでいろんな人に応援してもらい、背中を押してもらい、この舞台に立つことができた。結果で恩返しできず、すごく悔いが残ります」という言葉からは率直な思いが伝わった。

 昨年3月の五輪延期決定後は、7月前後から乱取りを再開。夏ごろからは、頻繁に天理大での出稽古に励み、73キロ級五輪代表の大野将平(旭化成)らと下半身強化に取り組んだ。1年1カ月ぶりの実戦となった今年1月のマスターズ大会(カタール)は2回戦で負傷敗退したが、4月のグランドスラムのアンタルヤ大会(トルコ)で準優勝。中4日で出場したアジア・オセアニア選手権(キルギス)で優勝と上々の内容で復帰した。

 五輪が近づいても開催が不透明だったが、気持ちを切らさず本番に臨んだ最重量級のエース。悲願の金、3決での銅といずれのメダルにも届かなかったが、「幸せだったと思います」と振り返った武道館でのこの日の戦いとそれまで5年間の思い出の数々は、きっと心の中で金メダルのように一生輝き続けるはずだ。

 ◆原沢久喜(はらさわ・ひさよし)1992年(平4)7月3日生まれ、山口県下関市出身の29歳。6歳で柔道を始める。日新中―早鞆高―日大―日本中央競馬会―百五銀行。全日本選手権は15、18年優勝、世界選手権は17年2回戦敗退、18年銅メダル、19年は銀メダル。16年リオデジャネイロ五輪銀メダリスト。得意技は内股と大外刈り。右組み。1メートル91、123キロ。

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