日本ハム・村田 故郷への思い胸にマウンドへ 大阪北部地震で「できることあれば何でも」

2018年06月20日 11:30

野球

日本ハム・村田 故郷への思い胸にマウンドへ 大阪北部地震で「できることあれば何でも」
日本ハム・村田 Photo By スポニチ
 18日朝に最大震度6弱の強い地震に見舞われた近畿地方。大阪府出身の日本ハム・村田透投手(33)は一夜明けた19日、調整のために訪れた札幌市内の室内練習場で「大学の同級生の家の壁にヒビが入ったり、電車に閉じ込められた知人もいた。大変だったみたいです」と心配そうに話した。
 小学3年だった95年に阪神大震災を体験した。早朝の大きな揺れで叩き起こされ、近くにあったコタツに必死にもぐり込んだ。実家は大阪府の南部のため、大きな被害を受けることはなかったが「すごく怖かったのは覚えてます」と振り返る。

 大体大から08年ドラフト1位で巨人に入団。だが一度も1軍に昇格することなく、わずか3年で戦力外通告を受けた。打撃投手転身の打診を固辞し、同年の12球団合同トライアウトを経てインディアンスとマイナー契約。11年3月11日に東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災が発生した際は米国だった。マイナーからメジャーのマウンドを夢見てスタートを切った矢先に母国を襲った大地震。「ニュースの映像を見て言葉が出てこなかった。現実として受け止めることができなかった」と大きなショックを受けた。

 米国での6年間でメジャー登板はわずか1試合。メディアを通じて日本の知人らに元気な姿を見せる機会は少なかったが、今は違う。日本球界復帰1年目だった昨年6月11日には古巣の巨人から「日本初勝利」。お立ち台で号泣し、両軍ファンに感動を与えた。今季はロングリリーフでも存在を示すなど3勝1敗、防御率3・32。地元の友人や知人から届く激励のメールも力に変えている。

 「まだ余震もあるし、とにかく心配。軽々しく言うことはできないけど、自分にできることがあれば何でもしたい」と村田。チームは交流戦を終えて貯金9で2位と、2年ぶりの優勝も狙える位置にいる。22日のリーグ戦再開後も「ジョーカー」として鍵を握る33歳は、故郷への思いも胸にマウンドに上がる。(記者コラム・山田忠範)

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