【タテジマへの道】梅野隆太郎編<下>天国の母のためにも

2020年04月16日 15:00

野球

【タテジマへの道】梅野隆太郎編<下>天国の母のためにも
阪神の梅野は、福岡大では1年秋から6季連続ベストナインに輝き、4年春には最優秀選手に輝いた
 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。今、甲子園で躍動する若虎たちはどのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンに向けて、過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。今日は、13年ドラフトで4位指名された梅野隆太郎編(下)をお届けする。
 12年前の春、隆太郎がまだ小4のときだ。世界で一番の応援者、母・啓子さんが34歳の若さで静かに息を引き取った。卵巣がんだった。忘れもしない。小学校低学年だったある日、啓子さんがおなかに張りを感じて病院に行った。診断結果は「卵巣がん」。99年の冬に摘出手術を受けたものの、1年後に再発。医者からの宣告は残酷だった。

 「余命2カ月です」

 小2のときに片縄ビクトリーズで野球を始めた隆太郎。実は父・義隆さん(48)の意向で、病のことをほとんど聞かされていなかった。無我夢中で白球を追い、病床の母に試合の結果を伝える。そして母は闘病日記の中で、息子の活躍を書き記す。母子2人の、ささやかな楽しみだったという。

 「隆太郎をプロ野球選手にして…」

 啓子さんの最後の願いは義隆さんに託された。
 「どんな苦しい時も母親の顔を思い出しながらプレーしてきた。家族の支えがあって野球を続けられた」。隆太郎は母の夢をかなえてみせた。福岡大の寮の自室には、家族全員で撮った記念写真を飾っている。そして、自身の商売道具であるミットには「恩返し」の文字を刻む。これから先、どんなに苦しいことがあっても乗り越えられる。

 今夏の日米大学選手権では地方大学の選手として初めて、主将の重責を担った。異例の選出の裏には善波達也監督(50、明大監督)ら大学日本代表首脳陣の「梅野しかいない」という満場一致の意見があったという。福岡工大城東時代に指導した杉山繁俊さん(56、現東海大五監督)も「人間性を評価してくれたことが何より嬉しい」。愛弟子の活躍を、今も切に願っている恩師の一人だ。

 福岡大で1年秋から6季連続ベストナインに輝き、4年春には最優秀選手に。そして直後の日米決戦では3勝2敗で優勝を勝ち取った。2勝2敗で迎えた、神宮球場での最終戦。5回に勝利を引き寄せるソロ本塁打を放っている。大舞台で結果を残し、満を持してプロの門を叩く男は、グラウンドを離れても野球のことしか頭にない。杉山さんが笑顔で証言する。

 「今でも高校の練習に顔を出して“交ぜてください”って言うんだ。“たまには遊びにでも行って、息抜きしてこい!”と言うんですけどね…。公式戦で、打っても打てなくても律義にきっちり連絡をくれる。プロでも必ず成功しますよ」

 数々の出会い、そしてたった一つの別れを経て、隆太郎は強くなった。

 「夢をかなえたことにホッとしている。母も天国から見てくれている。これからも頑張らないと」

 最愛の母が絶えず、天国からほほ笑んでいてくれる。高い壁を乗り越える力をくれる。心は簡単には折れない。(2013年11月8日付掲載、おわり)

 ◆梅野 隆太郎(うめの・りゅうたろう)1991年(平3)6月17日生まれ、福岡県出身の22歳。小2で野球を始め、小4から捕手。福岡工大城東では1年夏からベンチ入りも甲子園出場はなし。福岡大では1年秋から6季連続ベストナイン。4年春はMVPに輝き、同年夏の日米大学野球では日本代表主将を務める。遠投115メートル。1メートル73、89キロ。右投げ右打ち。

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