歳内宏明は2度の大震災を乗り越えコロナ禍でチャンスを掴んだ

2020年09月09日 09:00

野球

歳内宏明は2度の大震災を乗り越えコロナ禍でチャンスを掴んだ
入団会見でポーズをとる歳内(球団提供) Photo By 提供写真
 【君島圭介のスポーツと人間】甲子園の優勝投手ではない。阪神で白星を重ねた訳ではない。それでも天災に翻弄(ほんろう)され、ケガに泣かされてもひた向きに前へ進もうとする、そんな歳内宏明の姿が人の心を引きつけるのだろう。
 不平不満は言わない。阪神から戦力外を通告されたが「投げられない3年間回復を待ってもらえたから今、投げられる」と感謝しか口にしない。独立リーグの香川でプレーしたことも「香川で先発をやらせてもらったからNPBに戻れた」とかしこまる。

 故郷の兵庫を離れ、福島の聖光学院で野球をしていた11年3月11日、あの東日本大震災に見舞われた。同時に起きた東京電力の原発事故の被害は甚大で、「こんな大変なときに野球をやっていいのか」と悩んだこともあった。

 メディアは被災地で立ち上がり、甲子園に出場する聖光学院を追った。実家が被災した地元・東北の選手たちが注目を集める中、幼少期に阪神・淡路大震災を体験した歳内は何を背負ってマウンドに向かったのだろうか。

 前年ベスト8の右腕は初戦の日南学園戦(宮崎)で延長10回を投げて16奪三振。決勝打も放った。次の金沢戦(石川)も9回14奪三振と鬼神のようにスプリットを投げ続けたが、敗れた。

 指が動かなくなるまでスプリットを投げ続けた18歳から熱い涙と一緒にこぼれたのは「福島の人たちに申し訳ない」の思い。いや、あの夏、漏れ続ける放射性物質におびえ、また全国各地で避難生活を強いられていた福島の人たちが、その姿にどれほど励まされたか。

 2度の天災を乗り越えた歳内が、9月6日にヤクルトと正式契約した。入団会見に同席した小川淳司GMは「コロナのせいで縁ができた」と、たくましさも増した27歳を見つめた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が遅れ、NPBの新規契約期間が7月31日から9月30日に変更された。

 例年なら獲得は時期尚早で見送られた可能性もある。泣き言も言わずに2度の大震災や解雇やケガを乗り越えてきた。コロナ禍の中、不思議な巡り合わせで辿り着いたマウンド。この「縁」は、歳内だからこそ掴み取れた大きなチャンスだ。(専門委員)

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