元ヤクルト・黒田真二氏 肺がんで死去、62歳 崇徳高で76年センバツV

2020年09月16日 19:36

野球

元ヤクルト・黒田真二氏 肺がんで死去、62歳 崇徳高で76年センバツV
黒田真二さん(1999年撮影) Photo By スポニチ
 元ヤクルトで1976年センバツ優勝投手の黒田真二(くろだ・しんじ)氏が15日、肺がんで死去した。62歳。広島県比婆郡東城町(現庄原市)出身。本格派右腕として高校、社会人で活躍し、82年ドラフト外でヤクルトに入団も、現役5年間で通算49試合に登板して0勝7敗2セーブ、防御率5・07だった。
 黒田氏の名が全国に轟いたのは76年春の甲子園。崇徳(広島)のエースとして決勝では小山(栃木)を完封して初優勝へ導いた。甘いマスクで女性ファンも多く、当時のチームは山崎隆造、小川達明(ともに元広島)、応武篤良(元早大監督)ら強力布陣。センバツ史上最強チームとも言われた。同年夏は東海大四(南北海道)との初戦に発熱のため2イニングだけの登板。エースの危機に奮起した仲間の奮闘で10―8で辛勝したものの、長崎海星との3回戦は後にチームメイトとなる“サッシー”酒井圭一(元ヤクルト)と投げ合い、1失点完投しながら0―1で敗れた。

 同年のドラフトでは地元・広島入りを熱望して日本ハムの1位指名を拒否。社会人では日本鋼管福山を病気のため退社し、リッカーへの移籍を経て82年ドラフト外でヤクルト入りした。右肘の故障などもあって87年に現役引退。持ち前の制球力を買われ、同年に入団したボブ・ホーナーの打撃投手を務めたこともあって引退後は打撃投手としてチームを支え、99年限りで退団していた。

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