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ついに東北に大旗!仙台育英が悲願初V 108年目の歓喜に須江監督「皆さん、おめでとうございます!」

2022年08月23日 04:05

野球

ついに東北に大旗!仙台育英が悲願初V 108年目の歓喜に須江監督「皆さん、おめでとうございます!」
<仙台育英・下関国際>初優勝を決め喜ぶ仙台育英ナイン(撮影・藤山 由理) Photo By スポニチ
 【第104回全国高校野球選手権第14日・決勝   仙台育英8―1下関国際 ( 2022年8月22日    甲子園 )】 深紅の大優勝旗がついに「白河の関」を越えた。決勝が行われ、仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8―1で下して初優勝し、春夏通じて東北勢初の全国制覇を成し遂げた。東北勢にとって春夏合わせて13度目の決勝の舞台。仙台育英は東北勢最多となる4度目の挑戦で悲願を果たした。第1回大会で秋田中(現秋田)が決勝で涙をのんでから108年目。宮城の強豪が、閉ざされ続けた扉をこじ開けた。
 一歩、足を踏み出す。目の前で、輝くような赤が揺れている。佐藤悠斗主将(3年)は、重みを感じるように両手でしっかりと握りしめた。1915年の第1回大会から108年目、ついに東北勢の手に渡った深紅の大優勝旗。銀傘には温かい拍手が響いた。2022年夏。仙台育英が悲願の初優勝を飾った。

 「宮城、東北の皆さん!おめでとうございます!」

 試合終了直後から涙にくれた須江航監督は、お立ち台でも涙を浮かべた笑顔で叫んだ。「100年、開かなかった扉が開いた。準決勝で勝ってから東北の皆さんからたくさんのメッセージを頂いて、熱い思いを感じた。それに応えられて何よりです」。東北勢が過去12度、はね返された決勝。仙台育英は東北勢最多の7年ぶり4度目の決勝で悲願を達成したが「僕らの快挙だけでなくて、12回決勝にたどり着いた全ての選手と指導者のたまもの。東北の全ての人たちの勝利」と言った。

 学生コーチだった仙台育英2年時の01年選抜。アルプス席で準優勝の悔しさを味わった。「1試合も出たことがないどころか、練習したこともほとんどない」。12分の1の東北勢決勝敗戦が、指導者を志すきっかけだった。高校時代の恩師・佐々木順一朗監督(現学法石川監督)に誘われ06年、系列校の秀光中軟式野球部監督に就任。14年に全国優勝を果たして、18年1月、母校の監督に就任した。“補欠中の補欠”と認める監督は、データを重視したメンバー選考基準を示して「全員野球」を掲げ、全選手を競わせた。

 その信念の一つが「肩肘は消耗品だという感覚で育てる」という複数投手制だ。練習試合などでは1カ月先までローテーションを決め、登板機会をつくった。今大会を支えたのはえりすぐりの最速145キロ超えの5投手。この日の2投手継投など、全5試合に継投勝利し「投げなかった3人やスタンドにいる投手の全員でつないだ継投」と胸を張った。

 宮城大会準決勝で対戦予定だった仙台南が複数のコロナ感染で出場辞退すると「どうやったら彼らの気持ちを持っていけるか」と仙台南のユニホームにあしらわれていたオレンジ色の腕時計を着けて聖地で戦った。「東北の代表だという意識が強い。地元の子も東北は一つだと思って常々やっている」。東北愛にあふれる39歳だ。

 「東北のみんなの思いを背負って優勝できて、凄い貴重な体験。後悔は一切ない」と佐藤主将。須江監督は言う。「一回、扉が開けば、東北6県の選手や指導者は本当に力があるので、いろんな学校がなだれ込んでくる」。白河の関を越える大旗は、新たな東北の歴史の始まりとなる。(田中 健人)

 ▽仙台育英 1905年(明38)創立の共学校。育英塾として設立され、48年から現校名となった。生徒数は3996人(女子1883人)。全日制は特別進学コース、外国語コースがあり、広域通信制もある。野球部は30年(昭5)に創部。甲子園は63年夏に初出場し、春14度、夏29度。部員数は82人。主なOBはソフトバンク・上林誠知、ロッテ・平沢大河ら。創設者・加藤利吉の愛称だった「ライオン」を校章とし、ユニホームの左肩に黄金のライオンマークを刺しゅう。高校野球ファンから「ライオン軍団」と呼ばれる。仙台市宮城野区宮城野2の4の1。加藤雄彦校長。

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