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阿南準郎さんを悼む 当時の担当記者が後悔する広島監督時代に見逃した“サイン” 厚意に今も感謝

2024年07月31日 18:27

野球

阿南準郎さんを悼む 当時の担当記者が後悔する広島監督時代に見逃した“サイン” 厚意に今も感謝
阿南準郎さん(1990年撮影) Photo By スポニチ
 広島は31日、球団OBで86年に監督としてリーグ優勝に導いた阿南準郎(あなん・じゅんろう)氏が30日に死去したと発表した。86歳だった。広島監督時代の担当記者の上田俊哉が哀悼のメッセージをつづった。
 真っすぐな人だった。試合中のダッグアウト。指揮を執る阿南さんは他の監督と違い、ベンチに決して腰掛けなかった。ピンと伸ばした背筋は天に垂直。グラウンドに注ぐ視線は地に平行。その立ち姿は凛々(りり)しく何とも格好良かった。

 采配、用兵でも決して信念を曲げない人だった。就任2年目の1987年。連続試合出場の世界新記録達成が掛かる衣笠祥雄選手を先発で起用し続けた。その年限りで引退した〝鉄人〟に往年の力はなく、1、2打席での交代に批判もあった。だが、「いつかは打ってくれる」と意に介さず、最後までブレない姿勢を貫いた。
 
 監督としては、名将・古葉竹識さんからミスター赤ヘル・山本浩二さんへのつなぎに徹した3年だった。それでも、就任1年目の86年にリーグ制覇。その後2年もAクラスをキープしたのだから見事というほかない。

 投高打低だった当時のチーム事情を鑑み、機動力とセンターライン中心の堅い守りを推し進めた。中でも光ったのは達川光男さんの正捕手再抜擢だった。「ワシャ、阿南さんには足を向けて寝れんのよ」。阿南さんの退任時、達川さんがポツリと漏らした言葉が今も忘れられない。

 個人的には、阿南さんの厚意を無にしてしまったことが悔やまれてならない。1988年1月25日の朝。合同自主トレの取材先、沖縄をいったん離れることになった私は視察に訪れていた阿南監督へ帰広のあいさつに出向いた。

 「帰るのか?今日だけは残っといた方がいい。絶対に帰ったらダメだ」。やけに真顔な眼差しだった。「またまた。監督は寂しがり屋ですねえ」。阿南さんの意図を理解できなかった私は軽口を叩いて沖縄を後にした。

 しかし、昼過ぎに到着した広島空港で私の顔は真っ青になった。売り出し中のカープ若手主砲が法定伝染病に感染。その大ニュースが正午きっかりに現地で発表されていたのだ。「だから言っただろう」。デスクからこっぴどく叱られた以上に、阿南さんの〝サイン〟を読み取ることができなかった自分が情けなかった。

 真っすぐな上に、優しさも持ち合わせていたダンディーなジェントルマン。燦然と輝くカープ75年の歴史の中で、その存在はいぶし銀の趣があった。どうか安らかにお眠りください。(1987~90年広島担当、現株式会社スポニチパートナー代表取締役社長)

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