恒成 初防衛に成功!“宿命”の日本人対決制し「田口選手と試合ができて光栄」
2019年03月17日 05:30
格闘技
「思い切り打ち合うため。オレもそんな気持ちでした」
ゴングが鳴り終わると田中は、リング中央で挑戦者と抱き合った。試合直後も、特別な相手への敬意が自然と口をついた。
「田口選手に感謝です。試合ができて光栄ですし、強くなれました。ありがとうございました。年間最高試合の候補に挙げてもいいんじゃないですか」
序盤から切れ味鋭い左ボディー、左アッパーが次々に田口を捉えた。ガードが下がったところで、右ストレートが決まる。終始、攻め続けた。
危なかったのは3回に左を浴び、一瞬ぐらついたときくらい。117―111が2人。残る1人は119―109。ジャッジがそろって田中が不利と判断したのは、9回だけ。完勝だ。
17年夏。当時、WBO世界ライトフライ級王者の田中と、WBA同級王者だった田口との間で年内統一戦が浮上。日本人同士の2団体統一戦は、お互いに望むところだった。
しかし、田中が9月の試合で両目眼窩(がんか)底骨折。統一戦は白紙撤回となった。田中は上京して田口に直接謝罪した。その後は田口が王座から転落。それでも、2人は闘う宿命にあった。2年を経て1つ上の階級で実現した対決だった。
次戦も現王座の防衛戦になることが既定路線だ。それ以降は4階級制覇も視野に入れる。スーパーフライ級のターゲットの一人は元世界3階級制覇王者の井岡一翔。田中は「1階級上のトップ選手。(存在は)頭にあります」と興味を示す。
平成となって47戦目となった国内所属選手同士の世界戦。そのラストにふさわしい内容で飾った王者は「もう次を向いてやるだけです」と言った。父でもある田中斉トレーナーは「倒せるチャンスは何度もあった」とさらなる向上を求める。王者は感傷を振りほどき、新時代へ目を向けた。
◇田中 恒成(たなか・こうせい)1995年(平7)6月15日生まれ、岐阜県多治見市出身の23歳。小5からボクシングを始め、中京高で高校4冠。高3で畑中ジムへ入門。同年11月プロデビュー。15年5月にWBO世界ミニマム級王座を獲得。16年にライトフライ級に転向し12月に2階級制覇。18年9月、木村翔を破って同フライ級王座を獲得し、世界最速タイの12戦目で3階級制覇を達成。1メートル64。右ボクサーファイター。