兵動大樹(2)夢は「ブレイキンでクリンと頭で回ること」あくなき挑戦のきっかけオスカー受賞映画だった

2024年10月14日 13:44

芸能

兵動大樹(2)夢は「ブレイキンでクリンと頭で回ること」あくなき挑戦のきっかけオスカー受賞映画だった
実は引っ込み思案と意外な内面を語る兵動大樹 Photo By スポニチ
 コロナ禍に強いられた自粛生活。ただ、そこである映画との出会いが人生観を変えた。引っ込み思案だった生活を変えるべく、兵動大樹が取った行動とは!?
◆◆市営住宅に住んでると芸人になられへん!?◆◆

 【兵動大樹インタビュー(2)】

 ―芸人になろうと思った動機を教えてください。

 「最初は漫才ブームですね。小学生の時にやすきよさんを筆頭に、東京ならツービートさん、関西ならのりおよしお師匠、いくよくるよ師匠、紳竜師匠、漫才のキラキラしていた時代で、それを見てゲラゲラ笑って、カッコいいと思ってしまいました。中学の時に当時あったうめだ花月でダウンタウンさんを見たんです。これが今までの漫才とは全然違って、より身近なことで笑かしてくれて、漫才師になりたいなあと思いました」

 ―それでNSCへ?

 「最初はへびいちごの島川(学)と組んで入ったんです。当時はおばあ(祖母)と市営住宅で暮らしてたんですけど、おばあに芸人なるわって言ったら、おばあが“市営住宅の人は芸人なられへんねんで”ってわけのわからんこと言って。いま思うと止めようとしたと思うんです。でも、ぼくもアホやったから、“そうなんや”って言って、島川にゆうたら、島川もアホやったから、そうなんやってなって。だからコンビ解散したんです。でも授業料も払ってるから構成作家みたいなんを目指そかな、と思ったんですが、どうしても漫才やりたいと思ってたら相方が途中入学してきたんです。おばあにやりたい!と言うと、ええんちゃうって言ってもらいました」

 ―表舞台に立たれるのは少し時間がかかった印象はあります。

 「そうでしょうね(笑い)。でも、実はNSC卒業してポンポンと賞はもらってたんですよ。芸人って簡単やなってなってたくらい。月20万くらいすぐいったし。ところが、次の年からすごいのが色々出てきて。メッセンジャー、ジャリズム、水玉れっぷう隊。その後が中川家、陣内とか。次の年はチュート、ブラマヨ、やすともとかブワーと出てくるわけで、そらもう、ぼくら地味も地味やし、勝たれへん。デビュー1、2年は仕事いただいてたんですけど、そっから10何年は厳しかったですね。風向き変わったんは30前半に、うめだ花月のレギュラーになって。そのへんから認知もしてもらうようになってからですね」

◆◆兵動が引っ込み思案!?◆◆

 ―そこから着実に兵動さんというキャラを確立されてきたように思います。おしゃれだし、とにかくトーク力がとても高い。関西のおっちゃんのあこがれみたいなところはあります(笑い)。

 「いやいや、全然。ぼく、元々引っ込み思案やし」

 ―そうなんですか?(笑い)

 「いやー、ダメですね。対決系で討論してくださいとかは無理なんです。クロストークって、みんな早いじゃないですか。自分も思いついてるんですけど、言いたいことも口遅いからしゃべり出そうかなと思ったら、もう違う話に行ってもうてるんです。ブワーッいく人がおって、その人が頑張って笑いとってたら、ぼくが止めたら申し訳ない、みたいなことを考えてめちゃくちゃ苦手なんです。今も少し名残はあるんですけど」

 ―それはかなり意外です(笑い)。

 「でも、もうええかなとは思ってきているところがあって、54になって誰に気をつこてんねん、少々嫌われようがなにしようが、やりたいこともやっていこう、体がバリバリ動くのも10年以内やぞ、と。そう思ってから自分の意志というか出し始めて、モラルを守っていたら多少踏み外してもいいやろうと思うようになりました。昔は居酒屋で話をしてても、周りに聞かれてんとちゃうやろか?みたいなことも考えるほど器の小さい男やったんですけどね」

 ―そういう考えになったきっかけは年齢だけなのでしょうか?

 「まあ、コロナ禍で活動が制限されたのも大きかったんですけど、その時に見た映画が大きいきっかけになりました」

 ―映画ですか。

 「アンソニー・ホプキンスが主演の『ファーザー』という映画です。アカデミー主演男優賞を獲った作品で」

 ―ああ。主人公の高齢男性が認知症になっていく話ですね。少し幻想的な雰囲気の。

 「あれを見たとき、人間てこうなっていくんやと思って。コロナの時なので余計そんなん思いました。ぼくも芸人を終える日が来るんですけど、まだ何もやってない!と危機感を覚えたんです。挑戦してへんことが多すぎる、知らんまま死ぬのはいややな、そんな思いがすごく強くなりました」

 ―それがYouTubeなどの挑戦にもつながっているんですね。

 「登山もしたいし、習字もしたい。マラソンはちょっと前からやってますけど、今度も大阪マラソン走らせてもらうし。自分の仕事に近いところでいくと芝居ももっとしたい。なんなら、マッチ棒でお城作る、みたいなこともしてみたい(笑い)」

 ―すごいバイタリティーです。中でも一番やってみたいのは何ですか?

 「実はブレイキンやりたいんです」

 ―ブレイキン!

 「一回、逆さまになって頭でクリンと回りたいんです。みんなに首折れるで、と言われているんですけど(笑い)。もちろんダンスも教えてもらってですけど。最後は逆さ向いてキュン!みたいなのをね」

 ―それをやりたい!と思うバイタリティーがすごいです!やっぱり兵動さんはオッサンのあこがれの存在ですね(笑い)。

 「(笑い)いえいえ。でもまあ、同世代の人には元気でいてほしいし、そういう人たちに、“なんかあいつ、いつまでももがいとんなあ”って思ってほしいです。そのうえで、なんとなく共感してもらって頑張ろうと思ってもらえたら、これ以上ない幸せですね」=終わり

 【取材を終えて】「50歳を超えると体力も集中力もなくなります。ちょっと携帯見たらいつの間にかプロ野球情報とか見だして、何してんねん、あかんやんか!みたいな感じになったり」と笑った。記者も同世代なのでまったく共感。記事を書くときの集中力にときどき絶望的になる。

 多くの同世代はあきらめたり受け入れたりしてしまうが、兵動がすごいのは挑戦し続けるところ。舞台やテレビ出演で多忙を極めているのに「ブレイキンをやってみたい」などと、あくなき欲求を持ち続けている。

 老いを認めつつも最後まであがこうとする精神。若い人たちはどう思うのか知らないが、同世代のオッサン記者には何とも痛快で、ちょっとした勇気をもらった気分だった。(江良 真)

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