柴田師は海外先駆者、偉大なホースマンが定年引退へ万感
2019年02月22日 05:30
競馬
「今思うと、長いようで短かったな。こうやって無事に最後を迎えることができて、幸せなことだよ」
前回の東京五輪の1964年に馬事公苑の騎手養成課程に入り、騎手として28年、調教師として24年。半世紀以上の競馬人生の記憶は、走馬灯のように浮かんでくる。
海外にいち早く目を向けた先駆者でもあった。「何カ国行ったかな?世界にはいろんな競馬があるんだ」
英国のヒースロー空港では「言葉も通じなくて…。審査が厳し過ぎ、なかなか通過しない」と苦闘。アスコット競馬場では下見所(パドック)まで赤いじゅうたん。「私が通った後、エリザベス女王が同じじゅうたんの上を歩いて登場するんだ」と英国王室が主催する高貴な社交場に感動した。
英ダービー9勝を誇る伝説の名騎手、レスター・ピゴットと交流が深かった。「一緒に撮った写真は大事にしている」と一生の宝物という。88年ジャパンCでは英国馬シェイディハイツ(14着)に騎乗。同レースで日本人騎手が海外調教馬に初めて騎乗する“偉業”だった。90年キングジョージ6世&クイーンエリザベスSではアサティスで3着。欧米に積極的に出向き、つかんだ騎乗技術の成果でもあった。
ウイニングチケットで挑んだ93年日本ダービー。19度目の挑戦で悲願V。「世界中のホースマンに私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと言いたい」と誇らしげに語ったお立ち台は今でも語り草だ。
最終週は土、日曜で9頭の攻勢。中山日曜8Rのヒロノワカムシャは前3走で3、3、4着。「今週はワカムシャが一番チャンスだな。調教師になってからは馬のことが常に心配で気が休まる時がなかった。今後は外から競馬をゆっくり見たい。違う世界が見えるかもしれないね」。昭和〜平成を支えた偉大なホースマンはそう言ってほほ笑んだ。