【英プリンスオブウェールズS】ディアドラ 6着も豪雨の中奮闘
2019年06月20日 05:30
競馬
「残念な結果だ。タフなレースになったというのが率直な印象だ。多少の雨ならこなせるかと思ったが雨が降りすぎた」。武豊は無念そうに語った。「馬の状態は良かった。スタートも決まり、道中もいい感じで進めたが、残り800メートルあたりからペースが全く緩まない。上位の馬は強い。馬場を考えればタイムも速い」。直線を向いて勝機は遠ざかった。だが、最後までディアドラは諦めなかった。「最後は力尽きたが全くレースをさせてもらえなかったわけではない。6着とはいえ、トップの中のトップの馬ばかりの中、しっかりと競馬に参加できたことは日本馬にとって今後の明るい材料になる」
そう、ディアドラはロイヤルアスコット開催にしっかりとインパクトを残した。父はハービンジャー。同じアスコットで10年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを実に11馬身差、当時のコースレコードで制した。そのことをよく知る観衆、関係者からの熱視線を浴びた。そして武豊は今開催のアンバサダーを務めた。日本競馬への注目の高さを示した。「でも、アンバサダーより自分が勝ちたかった。決して下を向く必要はない。馬も人もベストを尽くした。トライしなければ結果は出ない。これにめげず…。いつか日本の馬も勝てると思いますから」。ナイストライ。泥だらけの勝負服の武豊の表情は明るかった。
▼橋田満師 直前からの雨がこたえた。最後は持久力勝負になってしまった。速いペースで上り坂が控える…。彼女には試練となったが最後までよく辛抱した。メンバーと馬場を考えれば、英国の競馬でもやっていける素質がある。次走は馬の状態を見て、オーナーと相談して決めたい。
▼デットーリ(同レース4度目のV)全てプラン通り。早めに仕掛けて、この馬のスタミナを生かす競馬をした。
◆プリンスオブウェールズS 1862年に3歳馬限定の2600メートル戦として設立され、当時の英国皇太子、エドワード7世にちなんでレース名を付けられた。第2次世界大戦の影響で1940年以降は中止されていたが、68年に2000メートル戦で再開。71年G2に格付け。2000年G1昇格と同時に4歳以上の競走となった。
◆ロイヤルアスコット開催 6月第3週に英国王室が主催する英国のみならず欧州最高峰の競馬開催。1911年創設。現在は5日間でG1・8競走を含む重賞19競走、計30競走が行われ約30万人の観衆を集める。エリアによっては非常に厳しいドレスコードが決まっている。エリザベス女王は馬車に乗り、約11キロ離れたウィンザー城から毎日、観戦に訪れる。表彰式で自ら優勝トロフィーを贈呈するシーンは開催のハイライト。女王も競走馬を所有しており、13年ゴールドCは女王の馬エスティメイトが優勝して喝采を浴びた。