シンザン その切れナタの如し――戦後初の3冠馬は「紳士」だった
2020年05月25日 06:00
競馬
27頭立て1番人気。朝日杯3歳Sを制した関東の雄ウメノチカラが執ようにマークしてきた。4コーナーライバルはインに進路を取る。奇襲だ。そして先頭に立つ。シンザンは悠々と馬場のいい中ほどへ。大丈夫か。鞍上・栗田勝が満を持してムチを放つ。残り100メートル矢の如(ごと)くシンザン先頭。1馬身1/4差という着差以上の完勝だった。
8戦7勝での頂点。だが危ない場面もあった。3歳の1月シンザンの後肢の爪が血を噴いた。革を巻きゴムテープも試したが駄目だった。だが武田はついに正解にたどりつく。「シンザン鉄」の誕生だった。
夏負けを乗り越え秋には菊の大輪を咲かせた。セントライト以来史上2頭目。東京五輪に沸いたその年に戦後初の3冠馬が誕生した。
翌年には天皇賞・秋も有馬記念も手にした。当時の八大競走のうち5競走を制覇。「シンザンを超えろ」そのキャッチフレーズは長く日本競馬の合言葉となった。
(敬称略)
≪名門武田文吾厩舎で開花「ひげもそれるナタ」≫シンザンは関西の名門、武田文吾厩舎からデビューした。入厩当初は大した期待をかけられず、担当予定だった腕利き厩務員は別の馬を世話したいと主張。そこで、当時30歳の中尾謙太郎厩務員(のち調教師)へと担当が代わった。連勝を重ねると評価は一変。皐月賞のレースぶりを見た武田師は、自身が管理した60年の2冠馬コダマと比較して「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味。ただしシンザンのナタはひげもそれる」と、その自在性を評した。65年有馬記念優勝後に引退。その後、種牡馬となり、ミホシンザンなど優秀な産駒を出した。96年7月13日没。35歳3カ月11日の大往生だった。