カタールの人権問題で抗議活動を容認するFIFAはスタンスを変えたのか?
2021年04月02日 10:19
サッカー
クロースやチームメートのMFヨシュア・キミッヒ(26=バイエルン・ミュンヘン)はボイコット自体には「状況が変わるとは思えない」と否定的だが、声を上げることの重要性を指摘。キミッヒは「サッカー選手として語る責任がある。問題を認識させるために知名度を利用する必要がある」と話し、クロースも「問題に注目を集めることは重要。大会の前や大会中も続ければ、何かが改善されるかも」と力を込めた。
アスリートの影響力は大きく、社会問題に声を上げることは支持したい。ただ、気になるのは国際サッカー連盟(FIFA)の反応だ。ピッチ上で選手の政治的な主張はもちろん、ささいな個人的なメッセージさえ禁じてきたが、今回は「言論の自由を信じる」と不問に付す方針。昨年、米国での黒人男性暴行死事件に端を発した「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」運動が盛んになり、サッカーでも人種差別に抗議して片膝を付く行為が見受けられるようになった。FIFAの原則に従えば処分の対象になるはずだったが、この時も「処罰ではなく称賛に値する」と後押し。今回のカタール問題と併せ、政治とスポーツの間に引いてきた一線を本格的に動かすつもりなのか、とさえ感じられるほどだ。
個人的には選手がピッチ外で主義主張を訴えることに全く異論はない。それこそ「言論の自由」があって、信じることを言えばいいと思うが、ピッチが表現の場となるのはいただけない。禁止の原則が揺らげば、試合のたびに競技とは関係がない政治パフォーマンスの場となりかねない。
カタールのW杯組織委員会はスタジアム建設が始まった14年以降に業務中の事故で亡くなったのは3人にとどまり、業務以外では35人と公表。報道を否定しているだけに、W杯本大会で開催国と対戦相手が双方の言い分を主張する非難合戦となる可能性もある。FIFAは抗議内容によって「これはいい」「あれは駄目」と判断を下すつもりなのだろうか。その際は何が基準になるのか。疑問は尽きない。(東 信人)