ふたたびの「Why am I crying?」 バルセロナから平昌へ 旅するSEIMEI
2017年08月15日 10:30
フィギュアスケート
「すんげえ点が出るぞ」。会場を回り込んでキス&クライが見える位置への全力疾走。荒い息、揺れるファインダーの中、世界最高得点を更新した彼が何事か言い、ホオが濡れて行くのが見えた。
興奮さめやらぬプレスルーム。向かいに座る通信社のカメラマンに問いかけた。
「ねえ、彼は何と言ったの?」
リンクを取り囲むカメラマンは所属によってランク分けされていて、彼らメジャー通信社はキス&クライを至近距離で撮影できるのだ。30メートルも離れて撮影していた私には表情こそわかっても、会話の内容まではわからない。
「『Why am I crying?』って言ってました」
「……」
「『オレ、なんで泣いてるんだろ?』って感じですかね」
「それ、言葉がニュースだよ!記者もまだ知らないよ」
羽生結弦選手の演技に酔い、その言葉に酔った。誰かに話したいのだけれども、秘密にしておきたい不思議な感情。日本のお茶の間に同じシーンの映像と音声が流れるまでのわずかな時間、彼とボクたちの間で秘密の共有が出来たみたいでうれしかった。
× × ×
「ドレミファドン(イントロあてクイズ)は自信ないです」
2017年8月8日午後11時、トロントに派遣した小海途良幹(こがいと・よしき)カメラマンからメールが入る。羽生結弦選手の公開練習。五輪シーズンのフリープログラム発表(だれもそんなこと言ってないのだが、そういうことになっていた)ということもあり、日本からの報道陣が大挙してわさわさやっていた。曲名を他社より速く伝えたいのはわれわれの本能。練習に先立って行われるオーサーコーチの会見の中で、それは明らかになるだろう。でも、だ。オーサーコーチがちゃめっ気を発揮して「彼の練習を見るまでのお楽しみ」なんてことになったら。100人近い報道陣の超ウルトライントロクイズが始まるんじゃないか。小海途カメラマンは予習してるかな。それはそれでワクワクする。
だが結果としてお手つきして立たされる人も誤報をやらかす人もいなかった。
報道各社が一斉に「フリーはSEIMEI」とニュース配信を始めたのは日本時間の9日午前7時50分。それは練習を終えた彼が報道陣に囲まれ、平昌五輪、SEIMEIへの思いを語り終えた時間だった。曲名だけが独り歩きするのではなく、言葉を同時に伝えたかった彼の意志を尊重した結果だった。彼の言葉はニュースなのだ。
バルセロナの世界最高得点から平昌へ、SEIMEIは旅をする。それはきっと、たくましくなったプログラムだ。
「Why am I crying?」ふたたび。
そのときボクたちはまた会場内を走っていて、同じ言葉をつぶやいている。きっと。 (写真部長)
◆長久保 豊(ながくぼ・ゆたか)1962年生まれ。スペインで「グラッチェ」を連発していたら「それじゃあケーシー高峰ですよ」と言われた55歳。帯広畜産大学卒なので語学はちょっと。
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