NBAの奇才ジノビリが残した記録と記憶 41歳での引き際に感じた人生の節目

2018年08月31日 09:30

バスケット

NBAの奇才ジノビリが残した記録と記憶 41歳での引き際に感じた人生の節目
41歳で現役を引退したスパーズのジノビリ(AP) Photo By スポニチ
 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】彼は右のサイドライン沿いを右手でボールをドリブルしながらゆっくりと直進していた。2017年10月23日、テキサス州サンアントニオで行われたNBAのスパーズ対ラプターズ戦。その試合のひとコマはその日の「ハンドル・オブ・ザ・ナイト」としてNBAの公式サイトで紹介されている。
 スパーズのマヌー・ジノビリが演じた見事なボール・ハンドリング。6回目のドリブルで敵陣右サイドの45度の地点にたどりついたジノビリは向きを変えて、リングと自分をマークしていたラプターズのデロン・ライトの両方に正対し、ドリブルを右手から利き手でもある左手に変えた。

 それは一瞬の早業だった。マークしていたライトはそこでジノビリが何かを仕掛けてくるとは夢にも思わなかったのだろう。少なくとも“次の一手”は、ジノビリが左手でボールを一回コート上についたあとだと考えるも無理はない。誰だってそう思う。しかしジノビリは右手から左手にボールが吸いつくやいなや、即座に体を時計の針とは反対回りにスピン。ボールはライトの視野からいったん消え、回転するジノビリの体に張り付いて遠心力を得ると、進路をリング方向へと変えた。

 プロセスがひとつ少ないムーブ。“消去”された時間は0秒1ほどもなかったかもしれない。しかし油断していたディフェンダーを振り切るには十分だった。ジノビリはライトを振り切ると、そのままインサイドに切れ込んでレイアップを決めた。

 考えてみてほしい。このプレーでは右手から左手にボールが移動したときのベクトルと、左手に持ち替えてスピンしたあとに向かっているベクトルが空中で瞬時に入れ替わっている。このハイライト映像が流れたあと、私は所属しているシニア・バスケチームの練習で何度も試してみた。右手から左手にドリブルしながらボールを持ち返るのは誰でもできる。でも空中でそのボールに“待った”をかけたあと、時計の針と逆回りにスピンさせてから前に持って行くという動作は何度やってもできなかった。(私の努力と才能が足りないせいもあるが…)。

 そのジノビリが8月27日、現役引退を表明した。スパーズ一筋に16シーズンにわたってプレーした41歳。ファイナルを4回制覇し、アルゼンチン代表としてアテネ五輪の優勝にも貢献した。NBAにやってくる前にはイタリアのボローニャでユーロリーグも制覇。欧州+五輪+NBAの3つで頂点に立った史上2人目の選手となった。なによりアルゼンチン代表として米国代表を2度破った実績は高く評価したいところ。リーグを代表するオールラウンダーであり、無理な体勢からのサーカス・ショットや相手の股間さえも通してしまう奇抜なパス、さらに土壇場で強さを発揮するシュート力も印象的だった。

 「自分が描いていた夢を超える素晴らしい旅でした」。本人は引退を公表するに際してそんな言葉を使ったが、見ている側にとっても常識と呼ばれる固定概念を覆す存在だった。

 1992年のバルセロナ五輪でマイケル・ジョーダンらを擁した米ドリームチームがコートに立ったとき、相手チームは負けることの悔しさよりも一緒にプレーできることの喜びの方が勝っていた。対戦したチームの選手がベンチでカメラを手にする姿もあった。

 しかし努力して技術を身につければNBAのスター選手が集まる米国代表にも勝てる…。そう思わせるきっかけを作った1人がジノビリだった。

 20世紀にトラベリングだと笛を吹かれたプレーは今や「ユーロステップ」という名称とともに基本技のひとつになっている。それをNBAという世界最高峰のリーグで常識にしたのも彼だった。

 ドラフトされたのは1999年。2巡目の全体57番目という遅い指名で、彼のあとには1人しか指名されていない。しかしその“ブービー”だった選手がNBAで16シーズンにわたって活躍したことを考えると、彼が経験した旅の中身は本当に濃かったとも言える。

 プレーオフ(出場218試合)で通算3000得点(3054)と300本以上の3点シュート(324)の両方をクリアしているのは、今オフにキャバリアーズからレイカーズに移籍したレブロン・ジェームズ(33)とジノビリの2人しかいない。300本以上の3点シュートをプレーオフで決めた選手の中で、さらに800リバウンド(874)と800アシスト以上(827)を記録しているのもこの2人だけだ。データ的な視点を変えると、アルゼンチンからやってきた背番号20のさらなる凄さが見えてくる。

 記録も記憶も残した男…。スパーズのユニフォームを脱ぐに至ったプロセスは、さぞかし複雑なものだったと思う。しかし欧州時代を含め23シーズンに及んだバスケットボール人生は本人が感じている以上に輝いていた。

 私も定年を迎えた。人生のひと区切り。その中でジノビリの原稿を何度も書けたことを誇りに思う。マイケル・ジョーダンのマネは誰もできないが、ジノビリには自分の技術を習得している、あるいは習得しようとする“弟子”が世界中にあふれている。私もその1人…と言えるように早くなりたいもの。「まだまだ人生はこれから」。たぶん彼もそうつぶやいてくれるだろう。

 老いてはますます壮(さか)んなるべし。では、またジノビリの早業を動画で見てみよう。スピンするタイミングがポイント。そのとき、同時に足をできるだけ前に踏み出すこともわかった。頑張ればできるかもしれない。その先に何があるのかはわからないが、どんな人も“自分”を超えたいはず。その瞬間が来ることを夢見て、もうちょっと練習してみよう。

 2018年8月。猛暑続きで疲れたが、さまざまな記憶と記録がよみがえり、思い出深い夏になった。そして季節は秋。時は確実に流れている。さて常識を覆すニューヒーローは世界のどこから誕生するのだろうか…。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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