渡辺長武氏 恩師の教えは「生活すべて訓練 人の10倍やれば世界一になれる」

2019年01月23日 10:00

レスリング

渡辺長武氏 恩師の教えは「生活すべて訓練 人の10倍やれば世界一になれる」
東京五輪決勝でホハシビリ(上)を圧倒した渡辺 Photo By スポニチ
 【2020 THE YELL レジェンドの言葉 】 霊長類最強女子と言われた吉田沙保里さんが引退した。吉田さんより半世紀も前、同じように人間離れした強さから「アニマル」と呼ばれていたのがレスリング・フェザー級(旧63キロ級)の渡辺長武さん(78)だ。1961年から64年まで186連勝。東京五輪でも圧倒的な強さで金メダルを獲得した。今でも毎日500回の腹筋を欠かさないという元祖・霊長類最強男子が、伝説の猛練習について教えてくれた。
 64年東京五輪のレスリングと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「そるぞ!」で有名な故・八田一朗日本協会会長だろう。試合に負けた選手は罰として頭の毛はもちろん、下の毛までそってしまうなど、今なら確実にパワハラと批判される奇想天外な猛練習で選手たちを鍛え上げた。

 「いろいろ言われるけど、八田イズムの基本は1+1=2じゃなくて4という考え方なんですよ。私は左利きなんですが、右利きもマスターした。実家が豆腐屋だったので毎朝石臼で100キロぐらい豆をひきました。左右両手を使ってね。生活全てが訓練だったんです。おかげで技もタックルも左右両方から掛けられるようになった。だから勝てた。人の10倍やれば世界一になれる。それが八田先生の教えでした」

 渡辺さんの出身地は北海道の和寒町(わっさむちょう)。士別高でレスリングを始めた頃から猛練習には慣れっこだった。氷点下30度の酷寒をものともせず上半身裸でぶつかり合う。標高150メートルの九十九山(つくもやま)をうさぎ跳びで頂上まで上る。うさぎ跳びは現代では故障の危険性が高いとされているが、渡辺さんは今でも「タックルの練習にはうさぎ跳びが一番。うさぎ跳びができないような選手はいらない」と手厳しい。

 60年に中大に進んでからも猛練習は続く。「練習では立て続けに10人を相手に戦う。ぶっ倒れると水をかけられる。門限を破ると外の砂利の上で朝まで正座させられる。まあ、ひどいものでしたね」

 そんな毎日を送っていただけに、五輪強化合宿での八田会長のスパルタ指導にも驚きはなかった。ただし、度肝を抜かれたことは何度もあった。その一つが有名な「ライオンとのにらめっこ」だ。

 「上野動物園のライオンとはにらめっこだけでなく、実際にオリの中に放り込まれました。調教師はいても怖いですよ、やっぱり。でも私は命を懸けてレスリングをやっていましたから。八田さんには、負けたら絞首刑だと言われていたし、私自身も負けは死と思っていました」

 相手の「気」を察するためにと、目隠しをしての練習もさせられた。千葉・館山では真冬に寒中水泳も敢行した。35回にわたる強化合宿では「いつどこでも寝て体を休められるように」と電気をつけたまま寝かされ、突然夜中に叩き起こされた。体育館の冷たいマットの上で寝かされたこともある。「人間はどんな条件の中でも耐えうる力と根性を持っていなければならない」という八田イズムの神髄は、あらゆる方法で渡辺さんたちの心と体に浸透していった。

 その成果は確実に表れた。62年の全米選手権(ニューヨーク)に特別参加した渡辺さんは6戦全てでフォール勝ち。全試合合わせて10分もかからない圧勝に驚いた米国のマスコミは「あいつは人間じゃない。ワイルド・アニマルだ」と絶賛した。

 渡辺さん本人は「動物だと言われても、ちっともうれしくなかった」そうだが、その1週間後にオハイオ州のトレドで行われた世界選手権で再び優勝すると、マスコミは今度は「スイス・ウオッチ」という新しいニックネームを付けてくれた。ただ強いだけでなく、技の正確さを評価したこの愛称には渡辺さんも納得だったという。

 61年から負けなしで迎えた東京五輪では、誰もが金メダルを疑わなかった。重圧はあった。だが「今まで耐えてきた試練を思えば自分が負けるはずがない」と自信満々でマットに上がった渡辺さんは順調に勝ち進み、決勝でもライバルのホハシビリ(ソ連)を圧倒。計6試合で1ポイントも失わない圧勝で金メダルを獲得した。

 感激の瞬間からすでに55年の歳月が流れたが、渡辺さんは今でも毎日ジムに通い続けている。昨年には母校・中大の白門オリンピアンズ・クラブ会長にも就任。後進の指導にも意欲を見せる。

 「今の子たちに言いたいのは、とにかく人の10倍練習しなさいということ。勝てないのは練習が足りないだけなんだから。私は毎晩寝る前に必ず腕立て伏せを200回やった。人が見ていないところでどれだけやるか。生活全てが訓練。やるかやらないか。ただそれだけのことなんです」

 そう熱弁をふるう渡辺さんの姿は、現役時代と同じ「アニマル」そのものだった。

 《八田会長の求めで称号は浜口平吾に》渡辺さんは「気合だ!」の掛け声で人気の元プロレスラー、アニマル浜口の名付け親でもある。69年に国際プロレスに入団した浜口は70年に本名の浜口平吾から「アニマル」に改めた。「突然、八田会長と吉原功さん(当時国際プロレス社長)に呼ばれましてね。おまえのニックネームを元気のいい浜口に譲ってやってくれと言うんですよ。会長には何も言えませんからね。はい、どうぞと承諾しました」と舞台裏を明かした。

 渡辺さんが金メダルを獲得した64年10月14日には他にもフライ級の吉田義勝とバンタム級の上武洋次郎が優勝。駒沢体育館には3度も君が代が流れ、翌日のスポニチも「三たび続く“君が代”」の大見出しで渡辺さんたちの快挙を伝えている。

 《東京五輪で引退→“企業戦士”でも活躍》当時まだ24歳。4年後のメキシコ五輪を狙う力は十分にあったが、渡辺さんは五輪後すぐに引退を表明。11月1日には電通に入社し、今度は企業戦士として活躍した。70年には「健康のために」と一時的に現役に復帰し、全日本社会人で優勝。84年に電通を退社後、87年にソウル五輪を目指して再び全日本社会人に挑んだが3回戦で敗れた。61年から続いた連勝記録「189」はギネスブックにも掲載されている。

 《「いつでもどこでも」学生指導やる気》渡辺さんが会長を務める母校中大の白門オリンピアンズ・クラブは「国内はもとより世界で活躍するオリンピアン、パラリンピアンおよびスポーツマンを育成する」ことを目的に昨年7月に設立されたもので、渡辺さんは「必要があればいつでもどこでも学生の指導に行く」とやる気満々だ。正月の箱根駅伝でも母校の快走を期待していたものの、結果は11位。シード権も逃したとあって、近いうちに叱咤(しった)激励に乗り込むつもりでいる。

 ◆渡辺 長武(わたなべ・おさむ)1940年(昭15)10月21日生まれ、北海道和寒町出身の78歳。士別高―中大。62、63年世界選手権優勝。64年東京五輪でもフェザー級で金メダルを獲得した。五輪後に引退して電通に入社したが、70年の全日本社会人選手権で復活優勝。87年には46歳で再びソウル五輪出場を目指すも選考会で敗退。連勝記録は189で止まった。04年に紫綬褒章を受章。1メートル60。

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