追悼連載~「コービー激動の41年」その79 早すぎた?戦列復帰 満身創痍の晩年
2020年05月05日 09:00
バスケット
このときブライアントは34歳8カ月。アキレス腱断裂から復帰しようとするNBA選手としては“高齢”の部類に入った。しかも腱が完全に断裂している「グレード3」の状態。負傷した翌日の4月13日に手術を受けたときには「全治まで6~9カ月」と診断されたが、アキレス腱断裂からの戦列への「復帰予想期間」は、やがてブライアントの症例から「11カ月以上」が定説となっていく。専門医の中には「プロのアスリートならば1年は必要」とする意見もあり、同じ故障を負ったネッツのケビン・デュラント(31)やウィザーズのジョン・ウォール(29)らはこのガイドラインに従っている。
なぜアキレス腱断裂からの復帰プログラムで“ブライアント・パターン”がNBAから消去されたのか?それは彼が手術から239日目となった2014年12月8日に戦列に復帰してから6試合目で起こった“2度目の悪夢”に起因している。実戦復帰は7カ月半で当初の診断に従ったものだったが、練習を再開したのはその1カ月前。ハードな練習が日常生活の一部だったブライアントが、普通の人間から見て“突貫工事”を行ったのは手に取るようにわかる。
確かに左足のアキレス腱はつながっていた。しかし12月17日のグリズリーズ戦でブライアントは左膝を痛めた。今度は膝の下の脛骨の上部を骨折(脛骨高原骨折)。守備のスペシャリストとして有名だったトニー・アレンにボールをかきだされ、ルーズボールを争っている最中に膝を押さえてうずくまった。このあと「全治6週間」と診断されたが、2014年3月12日になってレイカーズはブライアントが残り試合もすべて欠場することを発表した。「年齢を考慮すれば復帰が早すぎた」。誰もがそう思った。
わずか6試合の出場に終わった2013年シーズンの屈辱を晴らすために、ブライアントは2014年シーズンでの完全復活を目指し、11月30日のラプターズ戦では31得点、11リバウンド、12アシストで通算20回目のトリプルダブルを達成。12月14日のティンバーウルブス戦では26得点をマークし、通算得点でマイケル・ジョーダン(3万2292)を抜いて歴代3位(現在は4位)に躍り出た。しかしこのあたりから両膝、かかと、腰、そして手術を受けた左足のアキレス腱が痛みだし、試合をたびたび欠場するようになった。2015年1月21日のペリカンズ戦では右肩の腱板(回旋筋)を断裂。これがこのシーズン最後のユニフォーム姿となり結局35試合の出場にとどまった。
満身創痍。平均得点は22・3ながらフィールドゴールの成功率はNBA19シーズン目で自己ワーストの37・3%にまで落ち込んだ。それが何を意味しているのかは、レイカーズのファンもうすうす感じ始めていた。2015年シーズンを前にしたプレシーズンではふくらはぎを痛めて2週間、戦列を離れた。デビューから20シーズン目。スポットライトを浴び続けてきたNBAのスーパースターに“黄昏(たそがれ)の時”が迫っていた。(敬称略・続く)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。
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