小林陵侑 スランプ脱出のきっかけは“諦め” 苦闘の末にたどり着いた境地とは「矛盾してるけど…」
2022年02月23日 19:37
ジャンプ
しかし20年10月、国内では敵なしと思われたNHK杯でまさかの失敗により3位。全日本選手権でも、普段では考えれらない初歩的なミスが出るなど振るわず「スキーのテール(後ろ)が当たったのもあったり、そこ気を付けていたんですけど…ずっとアプローチがかみ合わなくて、感覚的な問題なんですけど。こんがらがってきて、うまく動けないんですねよ考えすぎると」と落胆した。
アプローチとはスタートから踏み切りまでの助走姿勢。腰の高さや体の角度、重心の置き方ひとつで飛距離に大きく影響するという。小林陵はこの繊細なアプローチの感覚をつかめなくなったことでスランプに陥った。
課題克服のため取り組んだのはバランスボールなどを使った体のバランスを整える地道な基礎トレーニング。アプローチ感覚を取り戻どすため窓ガラスに映ったフォームを繰り返し確認し、腰をかがめる高さをミリ単位で修正しようと苦闘の日々が続き「やっぱり完璧を求めてやってるわけじゃないですか。(結果が)悪いと悪い方に考えたり、考えることが多すぎて素直にジャンプが楽しめない。結果も出さなきゃならないし」と気負っていた。
そして20年11月のW杯第1戦、結果は27位に終わり「力を伝えようとしすぎてタイミングが若干遅れたりしてロスしちゃってる」と反省。その後の試合でもいい成績が残せず、感覚を呼び覚ますための我慢の日々は続いた。
そんななかで迎えた21年1月のW杯第9戦、ヒルサイズに迫るジャンプでシーズン初の一桁順位となる7位に入賞。ここから徐々に調子を上げると、同年2月のW杯20戦ではシーズン初優勝を飾り、その後5戦は2勝2着2回と好成績残しスランプから脱出した。
調子を取り戻したきっかけについて小林陵は「飛べないことに関して落ち込んでも仕方ない。なので諦めてました。まぁいっかみたいな」とコメント。「すごく矛盾してるけども、何度もビッグジャンプしたいですし、表彰台にも乗りたい。ですけど30位以内に入れなかった時も『そういうことってあるよね』っていう諦め。多分(今まで)力んでいたから強く踏み切ろうというか、そういうイメージだったので、そんなことしなくてもムダさえ無くせば飛んでいくっていう」と“諦め”という意外な言葉をきっかけに再び原点に戻り、純粋に飛ぶことを楽しめるようになったと説明。
どこまでも高く遠くへ。北京五輪という大舞台でも“楽しむ”ことを忘れなかった小林陵は、子供の頃から追い求めた「ビッグジャンプ」を披露し、見事に日本男子98年長野五輪以来となる金メダルに輝いた。
◇小林 陵侑(こばやし・りょうゆう)1996年(平8)11月8日生まれ、岩手県八幡平市出身の25歳。5歳でスキーを始める。岩手・盛岡中央高出。15年土屋ホーム入社。18年平昌五輪ノーマルヒル7位。22年北京五輪ノーマルヒル金メダル。18~19年シーズンに日本人初のW杯個人総合優勝。兄・潤志郎、姉・諭果、弟・龍尚もジャンプ選手。1メートル74、59キロ。
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