【内田雅也の追球】95歳からの「不撓不屈」――藤浪へ、甲子園がエール

2019年08月02日 08:00

野球

【内田雅也の追球】95歳からの「不撓不屈」――藤浪へ、甲子園がエール
藤浪の今季1軍初登板がコールされると甲子園は大歓声が起きた(撮影・北條 貴史) Photo By スポニチ
 【セ・リーグ   阪神3―2中日 ( 2019年8月1日    甲子園 )】 フルハウスはポーカーで同じ数の札が3枚、残り2枚がペアの役を言う。派生し、野球では3ボール―2ストライク、一般にフルカウントと呼ばれる状態を指す。
 アメリカに「フルハウス・ピッチング」という言い方がある。カウント3―2が多く、苦しい投球を指す時が多い。

 今季ようやく初登板を果たした阪神・藤浪晋太郎は5回1死で降板となった。投球数102、被安打4、与四球6、与死球2の1失点だった。

 苦しさを象徴するのがフルハウスだ。初回先頭から何と5人連続でフルハウス。3四球で2死満塁を招き、堂上直倫を2―2から空振り三振に切った。毎回走者を背負い、フルハウスは計8度を数えた。ベンチも我慢の限界だったろう。

 制球難は依然、解消されていなかった。送球不安も同じだ。けん制球は投げず、一度、偽投(ぎとう)しただけだ。バント処理の一塁送球は駆け寄って下からトスした。

 それでも藤浪は温かく迎えられた。マウンドに上り、場内アナウンスが流れると大歓声がわき上がった。ストライクが入る度、アウトを奪う度に歓声が起きた。四球を出す度に糸原健斗、大山悠輔、梅野隆太郎ら同僚がそれぞれ駆け寄った。降板時の喝采には藤浪本人も震えたことだろう。

 大阪桐蔭高時代、春夏連覇した藤浪は「甲子園の申し子」である。マウンドに立つ姿に高校時代の雄姿を重ねたファンも多いだろう。甲子園には幾万の人びとの思い出、記憶が刻まれている。だからこそ余計、甲子園は温かく迎えたのだ。

 この日は甲子園球場の誕生日だった。1924(大正13)年生まれ、95歳になった。

 大球場建設を指揮したのは阪神電鉄専務の三崎省三だった。当時、社長制は敷いておらず、実質トップの存在だった。

 開場式で三崎は「この甲子園大運動場は東洋一でございます。私はここを日本のスポーツのメッカにしたいという夢を持っております」とあいさつした。四男・悦治が書いた小説『甲子(こうし)の歳』(ジュンク堂書店)にある。その夢はかない、誰もが認める聖地としてある。

 さらに「日本の若人の体位向上と不撓(ふとう)不屈の精神の作興(さっこう)に役立ちますれば、この上もない喜びと存じます」と締めた。

 今の藤浪に贈る言葉に聞こえる。復活への道は確かに険しい。「撓(たわ)まず」(心が折れず)、「屈せず」(あきらめず)に行けと、25歳の剛腕を95歳が励ましていた。=敬称略=(編集委員)

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