10年前の奇跡――巨人・谷の“木村拓也魂”弾、広島・高橋建によぎった「引退」の二文字
2020年04月24日 09:00
野球
劇的な決勝弾が生まれたのは巨人が1点ビハインドの8回。1死満塁で谷がコールされた。木村コーチとは同学年で04年のアテネ五輪でも盟友。当時は書けなかったが、ベンチスタートだった谷の胸中は荒れていた。「この試合に出んかったら、いつ出んねん…」。そんな男に最高の舞台が整い、当時の原監督も絶好のタイミングで代打を送った。カウント2―1から外寄り高めの直球をフルスイング。打球は左中間席に消えた。通算1928安打のヒットメーカーのキャリア唯一となる満塁弾。オリックスに入団したプロ1年目の97年に当時の仰木監督から「ヒットを打ったぐらいで喜ぶな。おまえはそんな選手じゃない」と注意されてからグラウンドでの感情を消した男が、天に向かって両手を突き上げ、お立ち台では号泣した。
一方、木村コーチが95年から06年途中まで在籍した古巣の広島ナインも「拓也のために」と一丸で勝利を目指していた。木村コーチが投手以外の全ポジションを守るユーティリティー選手の地位を確立できたのは広島での猛練習のたまもの。そんな努力を知る広島ファンも声をからして応援していた。決勝弾を浴びたのはメジャー帰りのベテラン左腕・高橋。ポジションは違えど3歳下の木村コーチを弟のように可愛がっていた。同年は開幕から好調。少し高めには浮いたが、思いを込めた直球は球威も十分で当時の谷も「バットの先だったし、打った瞬間は浅い外野フライだと思った」と振り返ったほどだ。高橋はこの一発を境に調子を崩して6月下旬に2軍落ち。同年限りで引退した。
取材ノートには後日談も記されている。翌年4月14日、谷は広島遠征中に木村コーチの御用達だった焼き肉店を訪れ、残された夫人と3人の子供を招待。すると解説者に転身したばかりの高橋も偶然居合わせた。恐縮する谷に高橋が驚きの言葉を掛ける。「実は、あの一発で“引退かな”と思ったんだよ」。天国に思いをはせて全身全霊の力勝負をささげた2人が1年後に再会し、こんな会話を交わす。偶然とは思えない。
あれから10年。生きていたら、どんなコーチになっていたか…。ヒントを求め、少し取材ノートの時間をさかのぼってみる。日付はキャンプインの10年2月1日。指導者初日だ。おそらく質問は「どんなコーチになりたいか?」だろう。
「俺は選手がベンチからグラウンドに出る時、背中を押してあげられるようなコーチになりたいんだよな」
コメントの冒頭には赤いペンで「×」の印がある。記者時代、記事にすることを止められた際に付けていたマークだ。思い出した。言われた言葉は「俺が一人前になるまで書くなよ。恥ずかしいから」。ノックバットを手に照れ笑いを浮かべていた姿は、心のフィルムに焼き付けてある。
《長男・恒希くんが始球式》2010年4月24日の追悼試合 巨人・木村コーチは4月2日の広島戦前のシートノック中にくも膜下出血で倒れ、同7日に死去。同24日の古巣でもある広島戦(東京ドーム)が追悼試合として行われた。午前中には都内で「お別れの会」も開かれ、原監督が弔辞で号泣。試合前の始球式は木村コーチの当時10歳の長男・恒希くんが務めた。試合は2―3の8回1死満塁で代打・谷が左中間に逆転の決勝グランドスラム。谷はお立ち台で「今日はタクの日。勝ちたいと思っていた…」と話して号泣。その後に記念球とバットを恒希くんに手渡した。
【記者フリートーク】おそらく自分は生前の木村さんと最後に会話した記者だ。くも膜下出血で倒れたのは試合前のシートノック中。その約30分前にチーム練習が終了した。選手も報道陣もグラウンドからいったん撤収。その際にベンチ裏まで木村さんにぶら下がり、二塁付近で山口(現2軍投手コーチ)ら中継ぎ陣に走塁指導を行っていたことについてコメントを求めた。すると忙しい時間帯でもあったからか、少しムッとした表情で返された。「先発でも中継ぎでも9番目の野手。だから走塁練習も当然だろ」。これが取材ノートに書き留めた木村さんの最後の言葉となり、翌日に言おうと思った「昨日は忙しいところすみませんでした」という謝罪の言葉も伝えることはできなくなった。
◆木村 拓也(きむら・たくや)1972年(昭47)4月15日生まれ、宮崎県出身。宮崎南から90年ドラフト外で日本ハムに捕手で入団。92年に外野手に転向。95年に広島に移籍し、内野も含めユーティリティー選手の地位を確立。06年途中に巨人に移籍し、09年9月4日のヤクルト戦ではベンチ入り捕手が不在となった延長12回に10年ぶりに捕手で出場するなど献身的なプレーで同年までのリーグ3連覇に貢献。通算1049安打で打率・262、53本塁打、280打点。1メートル73、75キロ。右投げ両打ち。
◆谷 佳知(たに・よしとも)1973年(昭48)2月9日生まれ、大阪府出身の47歳。三菱自動車岡崎から96年ドラフト2位(逆指名)でオリックス入団。02年に盗塁王、03年は最多安打。07年に巨人に移籍。14年に古巣のオリックスに復帰し、15年限りで引退。通算成績は1928安打で打率.297、133本塁打、741打点。1メートル73、77キロ。右投げ右打ち。
◆高橋 建(たかはし・けん)1969年(昭44)4月16日生まれ、神奈川県出身の51歳。トヨタ自動車から94年ドラフト4位で広島入団。01年に自身初の2桁10勝。09年はメッツで28試合に登板。10年に広島に復帰し、同年限りで引退。日本通算は459試合で70勝92敗5セーブ、防御率4.33。1メートル84、90キロ。左投げ左打ち。
◇山田 忠範(やまだ・ただのり)静岡県出身の42歳。02年から19年までプロ野球担当で08~10年が巨人担当キャップ。今年からスポーツ部野球担当デスク。
おすすめテーマ
野球の2020年04月24日のニュース
特集
野球のランキング
-
小池都知事「巨人軍の皆様方に心から感謝」 原監督らが計5000万円寄付
-
白血病と闘う北別府さん「自粛も生きていればこそ」生後8カ月の初孫が心の支え「元気が出ない時は…」
-
DeNA大和、打撃練習で汗 開幕後の無観客開催「致し方ない」
-
巨人・原監督、阿部2軍監督、坂本、丸、菅野が東京都の医療現場に計5000万円寄付
-
-
ロッテ 医療関係者らへ感謝と応援 ZOZOマリンを青色にライトアップ
-
巨人「WITH FANS」プロジェクト発足 コロナ禍もファンに寄り添う
-
阪神・能見「徐々に上げていけるように」コロナ感染から復帰の藤浪らにもエール
-
どうなる今秋ドラフト 高校生は大打撃 希望進路の変更を検討する選手も
-
10年前の奇跡――巨人・谷の“木村拓也魂”弾、広島・高橋建によぎった「引退」の二文字
-
クロマティ 強烈右ストレート!熊本で巨人史上最強助っ人、死球に怒る!
-
【内田雅也の猛虎監督列伝~<5>第5代・藤村富美男】焦土からの復活に勇んだ、1人3役の猛将
-
プロ野球開幕日、最短候補6・19も…協議5・11前後
-
ファンのために!12球団“無観客”開幕の方針で一致 赤字覚悟も「野球で元気になっていただきたい」
-
現時点で難しい プロ野球開幕に専門家チームはこう見る「世論と行政が許すかに尽きる」「油断できない」
-
専門家チーム 感染症対策ビデオ講義を関係者に行う意向 MLBや欧州サッカーとも「情報共有を」
-
日本ハム・栗山監督 “無観客”開幕案に「やることが良いのか悪いのかはしっかり考えないと」
-
阪神・藤浪 再出発会見で自身の行動を謝罪「軽率だった」24日から自主練習を開始
-
藤浪 医療従事者へ感謝「“自分がかかっているのでは”で行動することが拡大防止につながる」
-
自分と向き合う時間になった…阪神・伊藤隼 反省「自覚が薄かった」
-
阪神・長坂 謝罪と自立 「虎風荘」を退寮 矢野監督から電話「これからが大切」
-
ソフトB・明石 子供たちへウズウズしたら「腕立て100回、腹筋100回」
-
ロッテ・福田光 「スラムダンク」に学ぶ「勝利への執念 セリフが熱い」
-
西武“ひげの守護神”増田 自主練習中に32歳誕生日「体調はいいです」
-
楽天・三木監督「“今”を大切に」 活動休止中の選手へ色紙でメッセージ
-
オリックス・ロドリゲス 家族とTV電話でコミュニケーション「みなさん家にいましょう」
-
巨人・丸 “まるポーズ”で漁業支援 白鶴酒造ツイッターで披露
-
中日・梅津 重いボールでケガ予防 肩肘に負担がかからない投げ方習得へ
-
広島・九里 秘密兵器“黒マスク”トレ キツすぎてビックリもスタミナ倍増だ!
-
DeNA・パットン 球筋確認「チェンジアップの感覚を失わないように」
-
ヤクルト・川端 守備&打撃練習を再開「徐々にできることも増えている」
-
サイン盗み Rソックスに大甘処分 米メディアから批判相次ぐ
-
広島・ピレラ 25日にフリー打撃再開「次の練習日にやりたい」 3月の死球からついに完全復活へ