甲子園で味わった「人生最大の苦しみ」越え、プロ野球で恩返し カープ内定の和歌山大スタッフ

2020年09月01日 07:00

野球

甲子園で味わった「人生最大の苦しみ」越え、プロ野球で恩返し カープ内定の和歌山大スタッフ
近畿学生野球連盟学生委員長の楠岡毅さん(和歌山大) Photo By スポニチ
 【内田雅也の広角追球】甲子園で「人生最大の苦しみ」を味わった元高校球児が大学で野球の良さを見直し、プロ野球の世界に進む。
 和歌山大硬式野球部、楠岡毅さん(4年)の就職先は広島球団だ。6月末に内定をもらった。

 「うれしかった。心から喜びました」という。「大学4年間を通じ、連盟や裏方の仕事をやらせていただき、非常に楽しくやれました。野球関係の仕事に就きたいと思い、最高峰のプロ野球を目指していました」

 和歌山大では学生コーチを務める。新型コロナウイルスの感染拡大で3月から活動は自粛。所属する近畿学生野球連盟の春季リーグ戦は中止となった。個別練習が続くなか、楠岡さんは選手の打撃投手を買って出るなど、練習を手伝ってきた。

 連盟では学生委員長を務める。各大学の委員らと協力し、運営を取り仕切った。リーグ戦の日程編成、審判講習会の開催、パンフレット作成、ウェブサイトやSNSの管理・更新、スコアボードの操作、記録の集計……。選手や現場を支える裏方の仕事にやりがいを見いだしていた。

 プロ野球で通訳に就いた先輩や、試合開催で訪れた大阪・舞洲の施設でオリックス球団職員から話を聞き、プロ野球入りを決意したのだった。

 3球団を受け、内定したのが広島だった。「中学3年の夏休みに家族旅行で広島を訪れました。路面電車、原爆ドーム、マツダスタジアム……街並みに憧れを抱いていました」

 来春3月には生まれ育った和歌山を離れ、広島球団職員として社会人の一歩を踏み出す。

 「カープは市民球団として地元の人びとに愛されています。愛情の深さを感じます。もっともっと全国の人びとに愛されるように力を注いでいきたい。多くの人にカープの良さを知ってもらえるようにがんばります」

 希望にもえる楠岡さんだが、高校時代には辛い経験をしている。桐蔭高時代の2015年春、選抜21世紀枠で甲子園出場を果たした。背番号「11」の新2年生で、控えの内野手だった。

 当時のことを母・ゆみさんが毎日新聞の投稿欄『女の気持ち』に書いている。昨年4月1日に掲載された。<わが家の次男は高校2年の春に甲子園に出場した><開幕まで毎日が楽しく、希望に満ちあふれ、夢のような時間を過ごしていた>。

 戦前は春夏3度の全国優勝、夏は第1回大会から14年連続出場を誇る旧制和歌山中の伝統校。甲子園出場は1986年夏以来29年ぶりで周囲の期待は高まっていた。

 3月22日の初戦、相手は今治西(愛媛)だった。スタンドは朝一番の試合でも観衆3万人が詰めかけていた。

 「うわあ、すごいなあって、周りを眺めていました。自分が試合に出るなんて考えず、ベンチで傍観者のようにしていたんです」

 8回裏の攻撃で遊撃手に代打が出た。9回表の守りで遊撃に就くように指示が出た。「あわてました。地に足が着いていませんでした」。1死から続けて飛んできた打球を連続失策した。4失点につながった。

 「エラーして、またエラーして……。あの時が人生で一番苦しかった」

 どん底だった。落ち込みようは相当だった。

 母の投稿にある。<お世話になった方々に恩返しするどころか、顔も合わせられないような気持ちになった>。さらに<それからは試合を見に行っても、笑っている顔を見ることは少なく、「この子は野球を続けられるのか」と心配した>。

 それでも、楠岡さんは踏ん張った。和歌山大に合格し野球部入部を決めた。「野球は好きでしたが、選手ではなく、選手を支える側でやりたい、自分にはその方が向いていると思いました」。マネジャーや学生コーチとして裏方に回った。

 甲子園で失策直後、主将の石井佑典二塁手(現神戸大)から声を掛けられている写真があった。この画像をスマホのロック画面、LINEのプロフィル画像にした。

 「何を言われたのか覚えていません。ただ、人生で一番苦しい瞬間だったので、いつでも思い出せるようにしています」

 味わったどん底を糧にして、前を向いたのだ。母の投稿によると、一昨年の年末、<一度も見ていなかったあの試合のビデオを見ると言い出した>。甲子園球場に立つ自分を見つめなおしたのだろう。<次の日に聞くと、「汗が出てドキドキしたけど、やっぱり甲子園は良いわ!」と言っていた>。

 楠岡さんは苦しみも楽しみも味わってきた野球と向き合い、プロの道に進もうとしている。

 「甲子園では大きな反省があります。自分が試合に出るなんて思っていなかった。準備ができていなかった。今は、何にでも準備に時間を使うようになりました」

 備品の確認、パソコンや機器の動作確認などを怠らない。
 今週末5日から、自身最後、集大成のシーズンとなる秋季リーグが開幕する。今も準備で忙しく、そして楽しい。

 母は<あのときお世話になった方々に、立派な社会人になることで少しでも恩返しできればと思っている>と記していた。もちろん、そのつもりでいる。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。和中・桐蔭野球部OB会関西支部長。母校が21世紀枠で甲子園出場した2015年選抜ではアルプス席で懐かしい顔と再会し、記者席で原稿を書いた。本編で取り上げた楠岡さんは桐蔭高野球部の後輩にあたる。大阪本社発行紙面で主に阪神を取り上げる『内田雅也の追球』は連載14年目。

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