【内田雅也の追球】プロ野球の「全生命」

2021年01月16日 08:00

野球

【内田雅也の追球】プロ野球の「全生命」
甲子園球場横に建つベーブ・ルースの来場記念碑。ルースら全米チームは1934年11月24、25日と甲子園で試合を行った。太田四州は「スピード」に本場の野球をみていた。 Photo By スポニチ
 野球記者の草分け、太田茂(筆名・四州)は野球殿堂入りしている。1972(昭和47)年、特別表彰だった。
 14日発表の本年度殿堂入りでノンフィクション作家・佐山和夫を書いた際、文化人の前例に太田を書き忘れていた。1881(明治14)年、香川県生まれ。旧制高松中(現高松高)時代は野球部に所属。和仏法律学校(今の法政大)を出て、新聞記者となった。

 肖像画を刻んだ殿堂レリーフには<初期早慶戦を軍記物語式の名文で描写して以来(中略)試合記事は読者の人気を独占した>とある。明治から昭和にかけ、二六新報や読売新聞、国民新聞で大学野球の記事を書き、雑誌『運動界』の責任編集(主筆)を務めた。

 今のプロ野球1年目の36年7月9日付の国民新聞には初めてプロ野球を観戦し<職業野球の印象>として<スピィディ>と好意的に書いている。

 観戦した9試合中7試合が1時間台という試合時間は学生野球よりも短かった。当時のプロは時間短縮に懸命だった。

 <プレーにも、頭脳にも、キビキビとした「速さ」があった>と技術の高さもみていた。投球や打球や走塁、さらには決断の速さも含まれるだろうか。31、34年に来日した大リーグ選抜チームと全日本チームを比較し<どれほど巧(うま)いかと云う標準は此の「スピィディ」の差だと思った>とみていた。<スピードの程度が大体に階級を示すものである>。

 同年暮れには『おもしろい野球』という一文を発表している。主に学生野球を書いていた太田は<学生野球は純真であればよい。おもしろくあろうとなかろうと、それは見物が勝手に解釈し、随意に鑑賞すればよい>とした上で、プロのあり方を示している。

 <職業野球にいたっては、断然この量見(りょうけん)は許されないのである。(中略)もちろんチーム自体からいえば勝たねばならない。大会やリーグ戦には優勝しなくてはならない。しかしそれら勝つこと、優勝することよりも、試合そのもの、プレーそのものをおもしろく見せねばならない。そこに職業野球の全生命が宿っている>。

 「ただ、勝つだけではない。誰かを喜ばせ、元気にさせよう」と訴えかける今の阪神監督・矢野燿大の主張に似ているではないか。プロ野球草創期、85年も前の新聞記者の論評は実に示唆に富んでいた。 =敬称略= (編集委員)

おすすめテーマ

2021年01月16日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム