ロッテ・朗希と3・11 父と祖父母が犠牲も「野球があったから、つらいとき頑張れた」

2021年03月11日 05:30

野球

ロッテ・朗希と3・11 父と祖父母が犠牲も「野球があったから、つらいとき頑張れた」
楽天とのオープン戦の試合前、ダッシュする佐々木朗(撮影・長久保 豊) Photo By スポニチ
 小学校3年時に岩手県陸前高田市で東日本大震災に被災したロッテ・佐々木朗希投手(19)は10日、少年時代の記憶を振り返った。父・功太さん(享年37)ら家族を津波で失ったが、大好きな野球をやることで勇気と希望をもらったという。絶対に風化させないとの思いを抱えながら、12日の中日とのオープン戦(ZOZOマリン)でリリーフとして、プロ初の実戦登板を果たす。
 シャイで物静かな青年に育った。悲しみに耐えてきたからこそ、優しさも知る。今年11月で20歳。大人となった佐々木朗ならば、父・功太さんを亡くした9歳の朗希少年に、どんな言葉を掛けるのだろうか。

 「あんまり、くさいことを言うのが好きじゃないので…。まあ、楽しいときは楽しんで、悲しむときは悲しんで…。好きなようにやっていいのかなって思いますね」

 一瞬だけほほ笑んで、昔の自分に語り掛けた。岩手県陸前高田市で生まれ育った。高田小3年のとき、小学校で被災した。津波から逃れようと、みんなで高台へと逃げた。避難所で兄弟3人で一夜を明かし、翌朝には母・陽子さんと再会できたが、自宅は流された。最愛の父と祖父母は津波にのみ込まれた。

 やり切れないむなしさ。寂しさと悲しみを一人で抱え込むことも多かった。「ネガティブな性格なので、そういうときもあった」と打ち明ける。それでも、全てを忘れさせてくれるものがあった。

 「野球しているときが一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで、大変だったとき、つらいときも頑張れた。野球をやっていて良かったなと思う」。

 うれしい思い出もある。

 小3から野球を始め、楽天・田中将大に憧れた。球場に足を運び、田中将のユニホームも買った。13年11月3日、巨人との日本シリーズで田中将が9回を締めて日本一の胴上げ投手となった瞬間は、仮設住宅でテレビ観戦した。

 「そのときは田中選手に憧れていたので、凄く勇気をもらったし、感動した」。偶然にも、この日が朗希少年にとって12歳の誕生日だった。

 「10年前の僕は、たくさん人から支えられ、勇気や希望をもらいながら、頑張ることしかできなかった。今はその時とは違う立場にいる。今年は試合でたくさん投げて、たくさんの人に勇気や希望を届けることができるように頑張りたい」

 大船渡時代に高校野球史上最速163キロを計測。一瞬にして「時の人」となったが、それまでは震災の出来事を自ら明かすことはしなかった。ところが、プロ入りした昨年からは、自らの記憶を発信する。震災を知らない子供たちも増えた。「やっぱり、経験していないので、伝えることは凄く難しい」と素直な思いを口にする。

 一方で、「(子供が)理解するのは難しいと思うけど、そこを根気強く、知っている大人が向き合って伝えていくしかない」との持論も持つ。風化させるわけにはいかないのだ。プロで活躍すれば、自らの言葉も子供たちに大きな影響を及ぼす。「いつ当たり前の日常がなくなるか分からない。それが怖いから、毎日感謝しながら一生懸命に生きる」。そんな実体験を伝えることも宿命なのだ。

 「10年という節目だけど、僕にとっては毎年、忘れることはなかった。3月11日は毎年、特別な日なんです」。幼少期、キャッチボールをしてくれた父は「朗希は凄い!将来、プロになれる」と予言したという。あす12日の中日戦で、佐々木朗は2年目にして初めて実戦マウンドに上がる。

 「一生懸命頑張るということを、言葉だけじゃなく、プレーでも見せることができたらいいなと思う」。

 天国の父も楽しみにしていることだろう。(横市 勇)

【佐々木朗希の歩み】

 ▼01年11月3日 佐々木家の次男として誕生。

 ▼10年 陸前高田市の高田小3年から少年野球を始める。

 ▼11年3月11日 東日本大震災に遭う。

 ▼11年 4年生になり、母の実家がある大船渡市に引っ越す。

 ▼14年 大船渡第一中に進学し、軟式野球部に入部。

 ▼16年 オール気仙のメンバーとして全国大会に出場。最速141キロをマークする。

 ▼17年 「地元の高校で甲子園を目指したい」と大船渡に進学。

 ▼19年4月6日 高校日本代表候補合宿の紅白戦で163キロを計測。

 ▼同7月30日 甲子園出場に王手をかけた花巻東との岩手大会決勝を、故障予防を理由に登板回避。野手としても出場せず、チームは敗れた。

 ▼同10月17日 ドラフト会議で4球団から1位指名を受けた末、ロッテ入団が決まる。

 ▼20年5月26日 シート打撃に登板し、160キロをマーク。登板後の右腕の張りが取れず、以降は体づくりに専念する。

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