【内田雅也の追球】沖縄と阪神に通じる「見せる」精神 再建の姿を記憶に刻み、記録しておきたい

2022年02月10日 08:00

野球

【内田雅也の追球】沖縄と阪神に通じる「見せる」精神 再建の姿を記憶に刻み、記録しておきたい
首里城公園に建つ佐藤惣之助詩碑 Photo By スポニチ
 阪神のキャンプ休日、佐藤惣之助の詩碑を訪ねてきた。3年ぶりである。当時、那覇市首里赤平町の虎瀬公園に建っていたが、昨年10月、首里城公園に移設された。
 詩碑は佐藤の出身地、川崎市民から贈呈され、1959(昭和34)年5月、首里城跡(当時は琉球大学構内)に建てられた。<沖縄と川崎を結ぶ友情の絆><戦火で疲弊した沖縄県民の希望の灯>と説明文にある。

 詩碑は本土復帰20年となる92年、首里城復元、世界遺産登録のため、虎瀬公園に移されていた。今回の再移設で元の場所に帰ってきたことになる。川崎沖縄県人会や川崎市議会議員などの強い要望があったそうだ。

 佐藤と言えば『六甲おろし』と通称される『阪神タイガースの歌』(当初は『大阪タイガースの歌』)の作詞者だ。作曲・古関裕而とともに、創設時の主力投手で後に監督も務めた若林忠志の人脈による。ハワイ出身で法政大から川崎市に本拠地を置く社会人・日本コロムビアで活躍。35年の都市対抗で川崎市代表で準優勝に導いた。当時から親交があり『赤城の子守歌』『人生劇場』など歌謡曲で人気だった佐藤に作詞を依頼した。

 3年前、当欄で詩碑について<沖縄と阪神を結ぶ碑>と書いたが、間には川崎市も深く関わっていたことになる。

 佐藤の沖縄訪問は22(大正11)年で『琉球諸嶋(しょとう)風物詩集』を著した。詩碑には『宵夏(よいなつ)』冒頭の3行が刻まれている。

 <しづかさよ 空(むな)しさよ/この首里の都の宵の色を/誰に見せやう 眺めさせやう>

 詩碑を訪ねた後、首里城にも上った。2019年10月の火災で正殿など多くが焼失した。再建工事中だが、国や沖縄県は「見せる復興」をテーマに掲げ、復旧・復元工事を見学できる。

 城内の櫓(やぐら)、東(あがり)のアザナに上ると、眼下に那覇市街はもちろん、東シナ海、太平洋を見渡せた。佐藤が立った場所だろう。

 なるほど「見せる復興」か。阪神がキャンプ中に行っている練習も「見せる再建」である。マスコミやファンの目の前で、17年ぶりのリーグ優勝、37年ぶりの日本一に向けた日々が公開されているわけである。

 <誰に見せやう>と思うほどであってほしい。そして、首里城のごとく、よみがえっていく様を記憶に刻み、記録しておきたい。 =敬称略=
 (編集委員)

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