アリ氏 74歳で死す…闘い続けた“魂のチャンピオン”
2016年06月05日 05:30
格闘技
12歳の時に新品の自転車を盗まれ、強くなることを白人警察官に勧められてボクシングを始めた。60年ローマ五輪ライトヘビー級で金メダルを獲得したものの、帰国後に人種差別を受けたことに怒り、メダルを川に投げ捨ててプロ転向。イスラム教に改宗してカシアス・クレイからムハマド・アリに改名し、へビー級では異例のスピードとフットワークを武器に64年、ソニー・リストンを破って20戦全勝で世界ヘビー級王座を獲得した。
批判も絶えなかった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と自身のスタイルを誇ったほかデビュー時から試合前のKO予告は当たり前。試合中にも相手をこき下ろしたが「盛り上げてやっているんだ」とどこ吹く風だった。黒人解放運動に参加し、ベトナム戦争中の67年には「俺は神の法だけに従う。ベトナム人に銃を向ける理由がない」と徴兵を拒否。禁錮5年の有罪判決を受け、ボクサーライセンスと王座を剥奪された。しかし、3年7カ月のブランクを経て復帰し、米最高裁で無罪を勝ち取ると、74年には圧倒的不利の前評判を覆して王者ジョージ・フォアマンをKOで破る「キンシャサの奇跡」で再び王座に就いた。
72年に来日してノンタイトル戦を行い、76年にはアントニオ猪木と異種格闘技戦を行った。猪木が転がって足ばかり狙う「世紀の凡戦」は引き分けに終わったが、78年にはレオン・スピンクスを破って3度目の世界王座奪取を成し遂げた。81年の引退後は病気と闘い、96年アトランタ五輪の開会式では震える手で聖火に火をともして世界中を感動させた。私生活では4度結婚し、子供は9人。3人目の妻との間に生まれた娘レイラは女子世界王者になった。また、05年には米国市民が授かる最も栄誉ある勲章「大統領自由勲章」を受章。最近はイスラム教徒入国禁止を唱えた共和党の大統領候補トランプ氏を批判するなど最後まで気概は失われていなかった。
◆ムハマド・アリ 1942年1月17日、ケンタッキー州ルイビル生まれ。12歳でボクシングを始め、60年にローマ五輪で金メダルを獲得。同年にプロ転向し、64年にヘビー級の世界王座に就いた。イスラム教に改宗し、カシアス・クレイから改名。67年、徴兵制を拒否し、王座を剥奪される。復帰後、世界王者に2度返り咲いた。プロ戦績は61戦56勝(37KO)5敗。