怪物ハイセイコーが負けた 競馬が日本の文化になった
2020年05月26日 06:00
競馬
怪物ハイセイコー。
公営・大井競馬でデビューし破竹の6連勝。鳴り物入りの中央移籍後も連勝を重ね皐月賞を制覇。10戦無敗でひのき舞台を迎えた。地方から成り上がり中央のエリートホースを次々となぎ倒す痛快劇に人々は人生を重ね合わせた。
負けるはずがない。自然と醸成された不敗神話に異を唱える者は少なかった。
27頭立て、1角10番手以内のダービーポジションでハイセイコーは悠然と進んだ。ほころびは3角から。進出する手応えが明らかに鈍い。それでも死力を振り絞り残り300メートルで一瞬、先頭に立った。だが、夢はそこでついえた。外を伸びた伏兵タケホープが
並ぶ間もなくかわし、突き放していく。初の敗戦。
「完敗です。いつもの気合がなかった」
鞍上の増沢末夫は青ざめた表情で言葉を絞り出すしかなかった。皐月賞優勝後にNHK杯を挟んでの臨戦。そのNHK杯の辛勝が予兆だったか。今では考えられない強行軍に敗因を求めるのは簡単だが当時はそれが当たり前。事実、勝ったタケホープは12戦目だった。
あれから約半世紀。優勝劣敗の世界において今なお「ハイセイコーが負けた」一戦として語り継がれるダービー。それが、競馬が単なるギャンブルではなく文化として定着した証でもある。
≪タケホープとライバル物語の始まり≫ハイセイコーは秋の菊花賞でもタケホープに敗れ、73年の年度代表馬の座も譲った。宿命のライバル関係は翌74年も続き、天皇賞・春など大レースでは劣勢だった。それでも共に引退戦となった同年の有馬記念では有終の美は飾れなかったが、ハイセイコーが2着、タケホープが3着と怪物が意地を見せた。ハイセイコーの人気は衰えず、映画にも出演。引退後も牧場に見学客が殺到。主戦の増沢末夫が歌った「さらばハイセイコー」もヒットした。種牡馬としても産駒カツラノハイセイコが79年ダービーを優勝。息子が無念を晴らした。競馬の大衆化に貢献したとして顕彰馬にも選出されている。