内田×ゴールドシップ名コンビを生んだ12年有馬記念
2023年12月22日 05:18
競馬
当時、内田騎手は次のように語っていた。
「2歳時に他のジョッキーで4戦していたので、当然、それらのレースは全てチェックしました。その結果、スタートがいまひとつで、少々難しい面のあるタイプだと感じました」
同時に、能力の高さもうかがい知ることができたと続けた。
「手応えが悪くなり“終わった?”と思えるようになってから、再度、伸びてくるので、うまく走らせてあげられれば、相当、走る力はあるのだと思いました」
そこで、初コンビにもかかわらず、スタートから「多少、無理をしてでも好位を取りにいった」ところ、最後の直線では後のダービー馬ディープブリランテを悠々とかわし、先頭でゴール。後に数々の大レースを制す名コンビが誕生した。
「後方から馬場の悪いインを突いて差し切った皐月賞や、3歳で勝った有馬記念など、ある程度、この馬を理解して乗れていたかな?と思いました。でも、のちのち結果を出せないレースも増えて、一筋縄ではいかない馬だと痛感しました」
13年ジャパンCでは2番人気に推されながらも15着と大敗。これを最後に内田騎手と芦毛の個性派とのコンビは解消。その後、12戦にわたり別の騎手が乗ることになった。
そんな同馬のラストランは15年の有馬記念。その鞍上には2年ぶりに内田騎手が帰ってきていた。結果は8着だったが、彼らのコンビは1番人気の支持を受けていた。 (フリーライター)