カズが認めた天才 全世代で日本一 代表務めるチームで背番号11を空けている理由は…
2019年02月25日 14:39
サッカー
望月氏は、小中高でいずれも日本一を経験。名門・清水商高では、1年時からレギュラーで、先輩だった名波浩(46)、藤田俊哉(47)に指示を飛ばし、当時の監督、大滝雅良氏(67)は「王様みたいだった。働きバチの名波や藤田が仕事をしていた」と話していた。
1996年にJリーグの名古屋に入団し、いきなりデビュー戦でゴール。2000年にチームメートとなったカズの考え方に触れたことがきっかけで日本代表に定着した。望月氏は「カズさんと出会って俺が思っていたプロの定義を崩されて、やるべき物事に対して100%全力でやるという物の考え方に変わりました」と振り返った。
しかし、04年に左足が国指定の難病「特発性大腿骨頭壊死症」と診断され、サッカーの表舞台から姿を消した。「もう絶望でした。それを周りの人に言ったら“やめろ”という人が大半。普段と違った痛みというか違和感ていうか。何をやっても回復しなかった」という。症状が進むと歩けなくなることから「サッカーをやめなさい」と医師から言われたが、選手でいたいという思いからリハビリに臨んだ。投げ出しそうになった時、当時37歳だったカズを訪ね「俺より先に引退するのか」と言われた。「“俺より先にやめるのか”なんていう問いかけに“やめられないよな”って思ったし、(カズは)30歳後半でプロの世界で戦っている。体を投げ出してでもボールに食らいついて行く。そういう姿を見ていると、まだまだピッチに立つことをあきらめちゃいけないと思った」という。
過酷なリハビリに耐えた望月氏は05年に横浜FCの入団テストに合格し、727日ぶりにピッチに立った。「プレーの出来は50点くらいだったと思うんですけど、リハビリの苦しさ、あとはサッカーをやめろと言われた思い。いろんなものが入り混じって僕としては大事な試合でしたね」
翌06年には、病気を公表せず引退。「リハビリを乗り越えてまたピッチに立ったってことは満足してますけど、完全燃焼じゃなかった。現役をやりたいっていう熱をクラブチームに注ぎ込んだ感じです」と、自らの貯金を投じ、SC相模原の代表に転身した。現在、J3に所属する同チームの背番号11は、Jリーグに加盟してから不在だという。「お世話になったカズさんに何かできるとしたら背番号11番を空けて、サッカー選手をずっとやれる環境をいつまでも用意していたい」と望月氏。カズは「毎年オファーくれますし、自分も努力して現役を続けていく中でそういう思いを持っていてくれるサッカー界の同志がいるのは、すごい幸せだなと思います」と話していた。
おすすめテーマ
2019年02月25日のニュース
特集
サッカーのランキング
-
ビジャ&ポルディ 若者にエール「高みを目指して」
-
乾 日本人初スペインで100戦出場!新天地でも存在感
-
中島 カタール2戦目でフル出場!0―0もチーム最多シュート4本
-
宇佐美 4戦ぶりに出場で積極アピール「アイデアは出せる」
-
堂安 フル出場も不発反省「決めなければいけない」
-
なでしこ高倉監督 W杯前哨戦へ意欲 強豪国との対戦で「現在地見つめる」
-
メッシ 逆転劇演出!圧巻のキャリア通算50回目ハット
-
エムバペ 最年少記録だ!20歳でリーグ通算50点突破
-
名古屋 Fリーグ連覇!2戦合計スコア並ぶも規定によりV
-
手倉森監督 6年ぶりJ白星発進にご満悦「長崎らしい勝ち方」
-
カズ次節出るぞ!横浜FC 終了間際被弾で黒星発進…