メキシコの衝撃 日本銅メダル 7ゴール釜本が得点王
2020年05月12日 06:24
サッカー
4年前の東京五輪で日本は8強入り。マイナースポーツだったサッカーが日本でも注目されるようになった。クラマー特別コーチの
教えを受け継いだ長沼健監督と岡野俊一郎コーチの指導で日本の選手はさらに厳しい練習に取り組んだ。
東京五輪メンバーの大半が残ったことは幸いだった。キックやドリブルが上達し連係が向上して組織で戦えるようになった。進化のスピードには世界中が驚いた。
だが、輝きは長くは続かなかった。メキシコ五輪後は若返りに失敗し96年アトランタ五輪まで長いトンネルが続いた。
≪スポニチ特派員・石原裕次郎さん「サムライ魂」絶賛≫ 1968年10月24日に行われた3位決定戦は厳しい試合だった。日本は前半に釜本の2点でリードしたが、地元の大歓声を受けたメキシコの猛攻を食らった。後半2分に取られたPKはGK横山が好セーブ。ピンチに次ぐピンチをしのぎ、最後は地元のファンも日本を応援した。スポニチの特派員としてメキシコ五輪を取材した俳優の石原裕次郎さんも「日本イレブンはサムライ魂で勝った。まず守りを固めてチャンスに攻める――誘って斬った」と完璧な戦いを絶賛したほどだった。