木村和司、伝説のFK サムライブルーの胎動が始まる
2020年05月13日 06:30
サッカー
それまで日本では「W杯は欧米のプロ選手が出場する大会。プロがない日本にW杯は夢舞台で五輪が現実的な目標」だった。W杯は見るものだったが、あと一歩で手が届くところまで来たことは大きかった。
この試合、6万2000人の観衆が詰めかけた。これほどまで大歓声を受けたのは初めてだった。敗れはしたものの、日本代表の強化を本気で考える機運が生まれた。韓国は一足早く83年にプロリーグをつくり選手を強化していた。プロとアマの差は大きく、「日本でもプロを」の声が次第に大きくなった。
その思いが8年後の93年のJリーグ開幕につながった。そしてW杯は98年フランス大会で初出場。今では6大会連続出場だ。多くの人の情熱に火を付けたのはカズシのFKだった。
《絶叫、タメ息》韓国との決戦には6万2000人の大観衆が国立競技場に詰めかけた。日本サッカーの大一番に日本中が盛り上がったが、夢はかなわなかった。紙面には「W杯へ日本手痛い黒星」「62000観衆絶叫、タメ息」など厳しい見出しが躍る。森孝慈監督は「これからが、我々の真価を発揮するときだ」と言っていたが、雪辱を期した第2戦も敗れた。石井義信監督が率いた2年後のソウル五輪もあと一歩で中国に敗れた。だが、敗れたことが逆にプロ化の機運を一気に高めた。