ウッチーの鹿島愛よ永遠に!涙の引退セレモニー“常勝軍団の魂”サッカー小僧に届け

2020年08月24日 05:30

サッカー

ウッチーの鹿島愛よ永遠に!涙の引退セレモニー“常勝軍団の魂”サッカー小僧に届け
<内田篤人引退セレモニー>ジーコTD(左)から花束を受け取る内田(撮影・篠原岳夫) Photo By スポニチ
 【明治安田生命J1第12節   鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日    カシマ )】 明治安田生命J1は各地で7試合が行われ、鹿島は1―1でG大阪と引き分けた。この試合を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)は、味方の負傷を受け前半16分から緊急出場。古傷の右膝が万全でない中、果敢なオーバーラップを繰り返し、終了間際には同点弾の起点となった。試合終了直後には涙を浮かべ、引退セレモニーでは感謝の言葉とともに「ウッチー節」もさえ渡った。
 無我夢中で駆け抜けた14年半だった。そのラストプレーが同点弾につながった。終了間際、内田が逆サイドへクロス。魂のこもったボールを後輩たちは前線で必死につなぎ、最後は上がったDF犬飼が頭で押し込んだ。

 「いろんな感情が出てしまうゲームだった。でも僕は人に恵まれている。素晴らしい選手、監督に囲まれてプレーできた」。試合終了の笛を聞き、涙がこみ上げた。ユニホームで必死に隠した。

 緊急出場だった。前半16分、負傷したDF広瀬と交代し、MF三竿からキャプテンマークを受け取った。「陸斗(広瀬)がケガしたんで、辞めるのやめようかなって思ってますけど。ウソです」と笑ったが、試合中に何度も右足のテーピングを巻き直すほど、満身創痍(そうい)。それでも果敢なオーバーラップで74分間、常勝軍団の信念を体現した。

 シャルケ時代の15年6月に右膝膝蓋腱(しつがいけん)を手術。それが最後まで重く響いた。「ずっと(引退を)考えていた。自分が100%でできない中で、チームメートは一生懸命練習し、試合に出ている。鹿島の選手としては自分が許せなかった」。幕引きが近いのは分かっていた。

 それでも使命があった。絶えず優秀な選手を輩出するドイツの育成システムに感銘を受け、「自分の国を強くする、経験を伝えていくことは大事」と古巣に戻り、言葉で、背中で経験を伝えた。犬飼は「ケガで満足に動けない中、必要な言葉掛けやプレーができる人」と涙ぐむ。バトンはつながれた。

 鹿島を愛し、鹿島に愛された男がピッチを去る。「ドイツで素晴らしい経験をして、日本でも日の丸を背負ってW杯に出させていただいた。全て僕の力となり糧となる。これからの人生が凄く楽しみ」。表情は晴れやかだった。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算148試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。

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