麻也“絶対に”負けられない日韓戦「最も大事。若い選手も理解して」
2021年03月25日 05:30
サッカー
過激な言葉の数々の背景には、若手とのギャップがあった。吉田が韓国と初対戦したのは11年8月。当時まだ代表キャップ8試合目の22歳は、代表常連だった先輩から「骨が折れても、体が壊れても、ぶつかっていかないといけない」と聞かされた。オーバーエージ枠として出場した12年ロンドン五輪3位決定戦で韓国に敗れた一戦は現在も「忘れることはない」という。
今合宿は新型コロナの防疫対策で国内組とホテルの階層が違い、コミュニケーションは基本的にピッチ内でしか取れない。「今の時代にそぐわないかもしれない」と前置きしつつも「10年がたって、その部分(日韓戦の重要性)を伝えられていないという危惧があった。若い20代の選手にも理解してほしい」。継承してきた死闘の系譜を、メディアを通して理解してもらう意図もあった。
海外組を含めたフル代表での韓国戦は10年ぶり。吉田自身、異例のチャーター機帰国をさせてもらい、韓国戦出場の資格を得た。「これだけしてもらって結果を出せなきゃ男じゃない」。無失点に抑えれば国際Aマッチ通算50完封目。骨が折れても、体が壊れても、日本ゴールは守り抜く。