1993年J開幕 日本人1号ゴールの風間八宏氏「おまえのために入れてくるよ」家を出るときに約束
2023年05月09日 11:00
サッカー
「俺の名前が残ったのは、次男のおかげ」
子供4人の中で唯一、出産に立ち会えなかったのが開幕のちょうど1カ月前に生まれた宏矢(現J2千葉)。「おまえのために入れてくるよ」と語りかけて家を出た。前半1分。片野坂知宏(元G大阪監督)のクロスに右足で合わせゴール。1時間早く横浜フリューゲルス―清水の試合が開始されていたが、運も味方につけ、同氏は日本人初の称号を得た。
【指導者の質高め日本独自の発展を】
本場ドイツでプロキャリアをスタートさせた同氏ですらJリーグ開幕には「ドイツで感じた“うわ、すげえ!”っていうのとはまた違う感動」を覚えた。あれから30年が経過し「日本でサッカーが日常になった」と感じる。その日常に安住するわけにはいかないと指摘する。「日常になりすぎたところもある。この30年は、他国に習い、倣った30年だった。欧州を追いかけても、欧州と同じにはならない。過去のものは役に立たない。どこにもない、Jリーグしかないものをつくっていかなきゃ。今後はその30年になると思う」。日本独自の発展を模索する必要を説く。
その論理は、技術委員長を務めるC大阪スポーツクラブでの指導でも生かされている。「“止める・蹴る”というのを大事にしているが、当たり前のところにみんなが気づいてきた。基準はどんどん高まる。技術を全て言語化して、それを誰でも見えるような形にして伝えていかないと」。取ったノートを見返すこともなければ、二度と同じ資料を基に教えることもない。進化のスピードを求められる次の30年へ、すでに動きだしている。
スペイン1部バルセロナでは4月29日、クラブ史上最年少で15歳のFWラミン・ジャマルがデビューするなど既成概念を打ち破るニュースは次々と飛び込んでくる。「また違う時代が来る。そのためには指導者の質を高めることが必要」。14日には「圧倒的な選手を育成する」ための「風間塾セレッソ大阪指導者養成所」がスタートする。「いつまでも“世界”っていう言葉に踊らされる時代は終わり」。レジェンドの目は未来しか見ていない。(北野 将市)
◇風間 八宏(かざま・やひろ) 1961年(昭36)10月16日生まれ、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の61歳。清水商、筑波大、ジョイフル本田を経て84年にドイツ3部レーバークーゼンへ。レムシャイト、ブラウンシュヴァイクと渡り歩き、89年にJSL2部のマツダ入団。92年からサンフレッチェ広島となり95年まで在籍。再度レムシャイトで1年プレーし現役引退。桐蔭横浜大、筑波大、川崎F、名古屋監督を歴任し、21年からC大阪スポーツクラブ技術委員長に就任。Jリーグ通算103試合6得点、国際Aマッチ21試合0得点。