1993年J開幕から30年 G大阪クラブ初ゴールの和田昌裕氏「将来がどうなるかなんて分からなかった」
2023年05月09日 11:00
サッカー
世間はプロリーグ開幕で盛り上がっていたが、それまでG大阪の前身・松下電器で社員選手としてプレーしていた身としては不安も大きかった。「将来がどうなるかなんて分からなかった。厳しい時期がくるだろうとも思っていた。リーグが中止にならないように…という使命感」。30年後に日本代表がW杯常連になることも、ドイツやスペインに勝つことも想像できなかった。Jリーグのともしびを消さない一念でボールを必死に追いかけた。
スタメンは1~11番の背番号をつけることが義務づけられていた93年、浦和戦で付けた背番号は「7」。遠藤保仁が長年背負い、今季から宇佐美貴史が受け継いだクラブの象徴的番号だ。「無理やりやん」と笑うものの、そうしたイメージを今後も大事にしたいとも考える。
20年2月に25年ぶりに古巣復帰し、現在は取締役として強化や経営に従事する。「そのクラブのカラーがイメージできるクラブはJリーグには少ない。でもG大阪は“攻撃的”“うまい”と多くの人が思っている。それは良いことだし、もう一度、皆のイメージに近いサッカーに戻したい」。30年後も変わらぬ哲学を根付かせるためにクラブを支える。(飯間 健)
◇和田 昌裕(わだ・まさひろ) 1965年(昭40)1月21日生まれ、神戸市出身の58歳。御影高、順大を経て、87年にG大阪の前身・松下電器入り。93年5月16日浦和戦で、G大阪のリーグ初得点を記録した。95年夏に当時JFLの神戸へ移籍。96年のJ昇格に貢献して98年に現役引退。その後は13年まで神戸監督や強化部長を歴任。20年2月にG大阪強化アカデミー担当参与、22年4月から取締役に就任。Jリーグ通算49試合2得点。
▽1993年(平5)の世相 新語・流行語大賞の年間大賞は「Jリーグ」で、新語部門の金賞は「サポーター」。日本代表は“ドーハの悲劇”でW杯初出場を逃したものの、日本サッカーが躍進する出発点だった。プロ野球は野村ヤクルトが15年ぶり日本一。FA元年で中日・落合博満が巨人へ移籍。大相撲は曙が史上初の外国人横綱に昇進した。競馬は有馬記念で1年ぶり出走のトウカイテイオーが復活V。政治では非自民の連立政権が誕生し、日本新党代表の細川護熙が首相となった。