「鳥人ブブカ」五輪への思い 一生に一度を逃すな 栄光も怖さも知るレジェンド語る
2019年10月28日 10:00
社会
1991年8月、かつての国立競技場で行われた世界陸上。開幕4日前、母国ソ連で保守派のクーデター未遂事件が発生した。世界新記録を連発した「鳥人」も出場が危ぶまれる中で大会3連覇に挑んだが、予選で足を負傷。それでも大声援を受け、痛みをこらえながら優勝した。「日本の皆さんが後押ししてくれた」と感謝し「温かい応援がある日本選手は東京五輪で有利だと私が断言しよう」と語った。
「自分のさまざまな経験を選手や現場に生かしたい」と現在は自国ウクライナの五輪委員会会長、国際陸上競技連盟副会長などの要職に就く。東京をこのほど訪れたのは五輪関係者と面会するためだった。
自身は五輪では88年ソウル大会で金メダルを獲得。だがその後、92年バルセロナ、96年アトランタ、00年シドニーの3大会では表彰台にも上れなかった。「五輪は全世界的な唯一の祭り。五輪で世界記録を出したいという夢があって、体を硬くしてしまった」と回想。「だけど、それ以上に年を重ねるごとに悔しさが増していることがある。ボイコットの話をしてもいいかな?」と身を乗り出した。
東西冷戦真っただ中の84年のロサンゼルス五輪。80年モスクワ五輪へ西側諸国が参加しなかったことで、ソ連はじめ当時の東側諸国が出場をやめた。ブブカ氏は83年の世界陸上で初優勝し、勢いに乗っていた時期。「20歳で若く、プレッシャーはまだなくてチャンピオンになるチャンスだった」と金メダルを一つ失った悔しさを口にした上で「ロサンゼルス大会に出るはずだった選手で4年後に出場できた仲間はごくわずかだった」と政治に振り回された選手たちの悲劇を吐露。そして高ぶる感情を抑えるように声を絞り出した。
「振り返れば今、ソ連は存在していない。私たちは何のために犠牲を払ったのだろうか…」
五輪の怖さと価値を世界で一番知る男。「日本選手にはチャンスを逃すなと言いたい。地元開催で大きな応援も得られる。何しろ、五輪に出場できるのは一生に一度かもしれないのだから」と語る口調が熱さを増した。
注目しているのは、走り高跳びの戸辺直人(27=JAL)。2月に2メートル35の日本新記録を13年ぶりに樹立し、国際陸連のランキングで世界1位に立った時もある。世界陸上では予選敗退し、ランキングは現在4位。同じ跳躍競技だったこともあり、ブブカ氏は激励のため戸辺と対面。「アスリートを偉大にするかどうかはほんの少しの差」とし、戸辺が筑波大大学院でコーチング学を学び、跳躍の技術を研究したことを評価。「科学的アプローチは現代のスポーツにおいてとても重要。思慮深く知的なのはただただプラスだ。東京五輪でメダルを獲る可能性がある」と期待。「プレッシャーが襲ってくるだろうが、試合でやるべきことは何なのか、それだけに集中すればいい」とアドバイスすると、戸辺は「迷うことがあったのでありがたいです」と感謝した。
ブブカ氏は「勝つには3つの要素がある。選手の力、コーチの指導、そして観客の応援だ」とする。実際、現在開催中のラグビーW杯では観客の応援が後押しし、日本代表は史上初のベスト8入りの快挙を遂げた。「日本の観客の皆さんは大きな声援と拍手で選手の力を引き出してくれる。(28年前の)私を救ってくれたようにね」。来年この場所で湧き上がる歓声がすでに届いているようだった。
◆セルゲイ・ブブカ 1963年12月4日生まれ、ソビエト連邦(現ウクライナ)出身の55歳。10歳から棒高跳びを始める。83年、19歳で第1回世界陸上ヘルシンキ大会で優勝し、97年アテネ大会まで6連覇を達成。五輪成績は88年ソウルで金メダル。92年バルセロナでは決勝記録なし。96年アトランタは予選を棄権。2000年シドニーは記録なし。屋外、屋内合わせて35回世界記録を更新。現在はIOC理事も務める。ニックネームは「鳥人」。
《意外な親交も》ブブカ氏には意外な交流があった。次男でテニス選手だったセルゲイ・ブブカ・ジュニア氏(32)がかつてダブルスを組んでいたのが、TBSの石井大裕アナウンサー(34)。石井アナとは約20年、家族ぐるみの付き合いを続けている。
今回の来日もブブカ氏が石井アナに「日本のスポーツを盛り上げる手伝いで何かできることはないか」と直接連絡。石井アナはブブカ氏の関係先への訪問や講演の司会などでサポート。ブブカ氏は「こうして世界中に親しい友人ができて、助け合えるのがスポーツなんだ」と感謝した。