平尾さんが愛したお店は、料理とワインにラグビー談義が合う場所だった
2018年08月06日 11:00
ラグビー
![平尾さんが愛したお店は、料理とワインにラグビー談義が合う場所だった](/sports/news/2018/08/06/jpeg/20180806s00044000173000p_view.jpg)
「餃子とパスタ、そして赤ワインをいつも飲まれていました」
店主の橋本大さん(29)は、まだ小学生だった20年近く前の話を鮮明に振り返った。
当時は父の陽一さんが店を切り盛りしていた。幼かった大少年が平尾さんをよく覚えているのは、後の人生を決定付ける交流があったからだろう。
「代表の練習が終わった後に、平尾さんにグラウンドにおいでって言われました。そこでパス、キックを教わりました。“おー、うまいね”って誉められて。当時はサッカーをしていて、ラグビーをしたことがなかったのですが、それならラグビーをやろうかなって」
ミスターラグビーに手招きされて踏み入れた道は、仙台育英高、関東学院大へと続く。大学では「Bチームでした」と控え目に語るものの、強豪のフランカーとして体を張り続けたのはまぎれもない事実だ。
記者という仕事柄、スポーツ選手がひいきにするお店に足を運ぶことが多い。その選手の好みや人となりを感じ取るのが最大の目的だ。8月上旬、このペンションを訪問した。平尾さんが好んだ特製ピリ辛餃子を口に運んだ。様々な変革に取り組んだ代表監督時代を想像した。
「あの時に学んだんや。今まで携わった人や、上に立つ人を無視して、“改革や”とか、“こっちが正しい”とか言うたらアカンって。そういう人を大事にしながら物事を動かさなアカンねん」
14年に神戸市の神戸製鋼グラウンドで聞いた言葉が甦った。34歳で代表のトップに就いた青年監督は当時、グラウンド内外の障壁と戦っていたのだろう。アボリアのオシャレな雰囲気、15年に69歳で亡くなった先代の陽一さんの気さくな人柄、そしておいしい料理が、張り詰めた気持ちをリセットさせてくれたのかもしれない。
長野県上田市の菅平高原は、夏になれば選手、関係者で賑わうラグビーのメッカとして知られる。そこから少し離れた位置にあるアボリアは、今も昔も変わらぬラガーマンの憩いの場。平尾さんだけでなく、数々の名選手が通ってきた。
父の跡を継いだ三男の大さんは言う。「一般のお客様はもちろんですが、ラグビー関係者にとって息抜きができる場所にしたいです」。ここのおいしい料理とワインに合うのは、きっとラグビー談義。楕円球のエキスが染みこんだお店で名手の記憶をたどれば、きっと素敵な休日になるだろう。人と人とのつながりが濃い、このスポーツを愛する皆様ならば。(倉世古 洋平)