恩師が語る世界女王の原点 空手組手50キロ級・宮原美穂 青空道場は「金」へ続く“イッポン”道

2020年04月21日 05:30

空手

恩師が語る世界女王の原点 空手組手50キロ級・宮原美穂 青空道場は「金」へ続く“イッポン”道
今年3月、空手のプレミアリーグ・ザルツブルク大会で優勝し五輪代表に内定した宮原(右) Photo By 共同
 【2020THE STORY~飛躍の秘密 】 世界女王の原点は、青空道場だった。空手の組手女子50キロ級で18年世界選手権を制した宮原美穂(23=帝京大職)は、福岡市早良区の実家にほど近い正剛会西福岡道場で、中学時代まで空手に明け暮れた。道場は地元で宝樹院(ほうじゅいん)として知られる寺院。第23代住職でもある明吉(あきよし)俊雄師範(54)の指導の下、空手家として、人間として成長した足跡を追った。
 3人きょうだいの末っ子の宮原は、先に空手を習い始めていた兄・泰成さんの背中を追うように、7歳で道場の門を叩いた。閑静な住宅街に囲まれた宝樹院は、自宅から目と鼻の先の距離にあった。
 「兄の泰成君は非常に運動神経が良く、とにかく真面目に稽古に励む子だった」。ちょうど明吉氏の息子2人も同じ年頃で、指導に力が入っていた時期。通常は週3回の稽古だったが、有志の子供を集め、通常稽古の前後や土、日曜に特別枠で指導に当たった。いわば道場の最盛期。「泰成君に負けず運動神経が良く、何より負けず嫌いだった」という宮原がぐんぐんと力を付けるのに、最善とも言える環境がそろっていた。

 寺院の創建は寛永元年(1624年)。空手道場を開いたのは明吉氏の父で先代師範・住職でもある哲成さんだった。その歴史は60年を超えるが、時代が移ろいながらも変わらないことがある。それが、固く締まった砂地の境内で稽古を行うこと。つまり、青空道場だ。

 「他にはほとんどないと思います。よほどの雨でない限り、外で練習。私が指導するようになってからは冬場の3カ月ほどは靴を履くが、それまでは1年中、はだしでした」

 本格的な組手の実戦練習は、平成に入って新設した屋内道場で行うものの、その広さは数十人の生徒が一度に稽古を行うには不十分。だから令和の現在でも、稽古は青空道場が基本だ。「かなり痛いですよ。少なくとも2、3年は足裏がむける。特に親指はむけますね」。突きや蹴りといった基本動作も「痛いから強く踏み込めない。外で試合形式をさせると、上半身を使って攻撃せざるを得ない」という。それでも踏ん張ろうとするから、自然と足腰は強くなる。宮原が得意とする刻み突き(前足で踏み込み、前拳で突く技)や、遠い間合いからの上段突きを支える踏み込みスピードは、まさに青空道場が育んだものだった。

 形と違い、組手に流派はない。それでも道場によっては同じスタイルを生徒に一律に教えるというが、明吉氏は「個々に特徴や考え方、気の強さも違う。だからうちは型にはめない」という。その中で宮原の性格を見抜き、徹頭徹尾言い続けたのが「とにかく下がるな。全部自分から仕掛けていけ」だった。

 組手女子最軽量級の宮原は、入門当時から小柄だった。その一方で高校からは階級別で争われる組手は、中学までは体重無差別で争われる。ルール上は寸止めとは言え、大きな選手との体格やリーチ差を埋めるためには、スピードや組手のうまさで上回るしかない。

 「例えば角度を変えて入るとか、相手がまばたきする瞬間、ちょっと肩が上がった瞬間に反応しなさいと。そういう感覚を磨きなさいと言い続けた」。全国中学生選手権では中2、3年で連覇を達成。17年には体重無差別で争われる全日本選手権で、68キロ超級の植草歩(JAL)に決勝で敗れたものの準優勝。東京五輪では一つ上の階級と統合されるため、55キロ級の相手との対戦が待っている宮原だが、体格差を埋めるすべもまた、少女時代から体にすり込まれていった。

 中学日本一となり、実力を認められて東京・帝京高に進学。手塩にかけた弟子を送り出すに当たり、明吉氏は一つの約束を交わした。「15歳で東京に送り出すわけです。私にも指導してきた責任があると思った。だから毎月1回、手紙を出しなさいと言った。3年間、約束を守った」。手紙を書くことで自身を振り返り、相手を思いやる心も養われる。高校卒業後にも送られてきたものを含め、約50通の手紙は明吉氏の元で大切に保管されている。それは宮原の成長の足跡であり、師弟の絆そのものだ。

 東京五輪の1年延期が決まった直後、電話で連絡をすると、「さらにパワーアップできます」と前向きな答えが返ってきたという。盆と正月、帰省の際には昔と同じように青空道場で汗を流し、かわいい後輩たちへの指導も惜しまないという宮原。空手の師であり人生の師である明吉氏とともに、小さな世界女王は1年先まで成長を続けていく。

 ◆宮原 美穂(みやはら・みほ)1996年(平8)9月3日生まれ、福岡県出身の23歳。7歳から空手を始め、中2、3年で全国中学生選手権を2連覇。帝京高では2、3年でインターハイを連覇した。15年4月に帝京大に進学し、初出場した16年の世界選手権で準優勝。2度目の出場だった18年に初優勝した。19年4月から帝京大職員。1メートル56。

 《五輪代表の内定“保留中”も優位変わらず》東京五輪の追加種目として実施される空手は男女の形と、組手3階級の計8種目で争われる。宮原は組手50キロ級と55キロ級が統合された55キロ級で五輪代表に内定していたが、世界空手連盟(WKF)が出場資格の再検討を始めたため、全日本空手道連盟も今月2日に代表内定の扱いを保留とすることを発表。全空連ではWKFの選考方法が決定次第、内定者の扱いを協議するとしている。
 突如として、立場が宙に浮いてしまった宮原だが、仮に再選考となった場合も、優位な立場にいるのは変わりない。WKFの組手女子55キロ級オリンピックスタンディングでは4位に付け、国内2位の山田沙羅(55キロ級、大正大職)を2500ポイント以上離している。国際大会が再開され次第、着実にポイントを重ね、代表を確定させたいところだ。

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