追悼連載~「コービー激動の41年」その105(最終回) 永遠のマンバ・メンタリティー
2020年05月31日 08:15
バスケット
「マンバ・メンタリティーでシュートを打った。マンバ・メンタリティーだ。このシュートをコービーとヘリコプターに乗られていたすべての方に捧げたい」。
声は震えていた。マンバとは自身を“ブラックマンバ(猛毒のヘビ)”と呼んでいたブライアントのこと。ブライアント自身もアキレス腱の断裂を経験しており、その模範となるヒーローの死から4日後に巡ってきた復帰初戦での決定的なシュート成功に、オラディーポは感極まっていた。不調の中から絞り出した値千金の一発。それはまさにブライアントがオラディーポの体を借りて、何かを訴えているようにも見えた。猛練習を日常の平凡なひとコマだととらえ、何かを習得するまで決してあきらめず、理解できるまで質問を繰り返す無限の探求心。そのブライアントの精神は、たとえ肉体がなくなっても多くの人たちの心の中で受け継がれていくだろう。
「みんな成功したいと願っているけれど、そのために多くのことを犠牲にする人はほとんどいない。多くの時間と手間がかかる。だから“GREATNESS”はすべての人のためのものではない。真っすぐな道を歩いていては成功にはたどりつけない。人生は綱渡りのようなもの。右に倒れかかったら左に、左に倒れかかったら右にバランスを取っていく。そうやって前に進むんだ」
2018年に刊行された著書「マンバ・メンタリティー」でブライアントは自分の生き方についても触れているが、猛練習と家族のために費やす時間を確保するために睡眠時間を極限にまで削ったそのライフスタイルを自分の中に取り込むことができる選手はさてこの世に何人いるだろうか…。朝のコーチ会議にやってきたレイカーズのフィル・ジャクソン監督が、駐車場で見た車の中で仮眠しているブライアントの姿。睡眠時間を減らして子どもたちの面倒を見て、チーム練習の前に個人トレーニングに汗を流し、指揮官が隣の駐車スペースに車を停めたことも知らずに眠っていた“日常”こそが、彼をスーパースターへと押し上げたといっても過言ではない。
日本では新型コロナウイルス感染に伴って出されていた緊急事態宣言がようやく解除された。しかし1月26日に41歳の若さで次女ジアナさんとともに天国に行ってしまったブライアントは地球上で起こった“惨事”を知らない。自分のすべてを捧げたNBAのシーズンが途中で中断するということは夢にも思っていなかっただろう。さらに元スパーズのティム・ダンカン、元ティンバーウルブスのケビン・ガーネットといった現役時代のライバルとともにバスケットボールの殿堂入り(発表は4月4日)を果たしたことも知らない。無限の探求心を自負していた彼にとって、知らないことが多すぎるのは本意ではないだろう。
日本時間の2020年1月27日。私は初めて原稿を書きながら泣いた。こんな悲しい事故原稿を、自分が書かねばならないことを恨んだ。そしてこの連載を書きながら「追悼する」とはいったいどういうことなのかを自分に問い続けた。ブライアントの失われた人生を修復することは誰にもできない。さぞかし無念だったと思う。今の地球を見て、何かを訴えてほしかったとも感じている。ただそれは今を生きる人間がやらなくてはいけない。「右に倒れそうになると左にバランスを戻し、左に倒れかけたら右に戻した」と思っている105本。これから長い年月が経っても、誰かが“マンバ・メンタリティー”を語り、誰かがそれを受けついでいくことを祈っている。
季節はあすから夏。8月23日はブライアントの42回目のバースデーだ。その日が来たら、また彼のことを思い出してみよう。ファイナルを5回制し、1試合で81得点を稼ぎ、現役最後の試合で60得点をたたきだし、さらに2つの背番号(8&24)を永久欠番にしたスーパースター。その記憶は記録よりも永遠だ…。(敬称略=終わり)
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。